謹賀新年。2019/01/05 21:02

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。なんと去年1月以来ほぼ1年ブログ更新してませんでした。。。というのも、個人的には激動の1年だったのです。2月初めには、国連人口基金の親善大使であるハリウッド女優のアシュレイ・ジャッドの訪問があり、同下旬、スリランカの国連常駐代表であったイギリス人女性が急逝してしまいました。日頃会っていた人が亡くなったのはこれが初めての経験だったので、相当ショックでした。同月、モルジブで反政府デモに関連して非常事態宣言が発令され、3月初めにはスリランカでも東部と中部で暴動が起き、非常事態宣言が出されました。3月下旬には中米パナマでの全世界所長会議(めちゃ遠かったー)に出席。5月末、うちのスリランカ事務所では初の女性の生理に関するイベントで、日本でも最近話題になっているインドの映画「パッドマン」を上映しつつ、繰り返し使える生理用品を3つの企業からご協力を頂き、紹介。9月はインドネシアバリ島での人口問題に関する会議に出席。9月下旬には、日本の国会議員を招いて、高齢化問題に関する会議をコロンボで開催しました。10月下旬には、スリランカの大統領が突然首相を解任するという事件があり、その後約7週間にわたって、無政府状態が続きました。幸い、紛争にはならずに済みましたが。同じ頃、モルジブでも大統領選があり、こちらはポジティブな方向への変化であったものの、政権交代に伴い、いろいろと忙しくなりました。

こういう大きな動きの中で、仕事に関する人間関係の面では、ちょっと信じられない、常識を疑うようなショックな出来事が次々と起こり、かなり辛い1年だったというのが正直なところです。これまで私は自分の性格的に、まがったことが嫌いで、人との信頼関係を元に物事を進めていく、というやり方できたと思っているのですが、そういうまっすぐなやり方が通用しない人・状況もある、というのをこれでもかというぐらい思い知らされました。残念なことですが、他人を信頼することなく、悪意をもって攻撃する人もいる、人の信頼を裏切ることをなんとも思わない人も沢山いる、というのを痛感させられました。これはきっと、スリランカの26年に及ぶ内戦の歴史、そしてよく言われる南アジア特有の文化、というのもあるのだと思いますが、加えて、きっと私がこれまで相当運が良かった、というのもあるのでしょう。いづれにせよ、他人を、ひいては自分自身を、信頼するというのはどういう意味なのか、ずいぶん考えさせられた1年でした。

もちろん、大変辛かった1年というのは、学ぶことも大変多かった1年であり、そういう意味ではありがたい経験をさせてもらえた年とも言えます。辛い時にサポートしてくれる上司や友達のありがたさをひしひしと感じた1年でもありました。去年の占いでは「なんでもかかってこい」な1年のはずでしたが、そういう度量の大きさを示せた1年ではなかったです。でも、新しい1年を迎えるにあたって、怖いものはもうあまりないかな、という気持ちにはなれたので、よしとしましょう。

今年の大宮神社でのだるまみくじは大吉!占いによれば、天秤座は今年は「自分の美学の徹底的な追及」の年になるらしく、自分のやりたいことを追及して「納得がいくまで戦う」らしいです。そこまでの気負いはないですが、スリランカ&モルジブでの仕事も3年目に入ることですし、上手にプライオリティーをつけて、仕事以外のとこで楽しめる年にできたらなあ、と思います。ブログももうちょっと更新して。。。最近はFacebookとTwitterとインスタと3つやってるので、どうしてもブログはおろそかになってしまうのですが。どうぞ今年も宜しくお願い致します。

シナモン&ペッパー2019/01/05 22:37

ふと気がついたのですが、ほとんどブログを書かなかったこの1年ちょっとの間に、うちには家族が増えていたのです。猫2匹。

最初の猫、シナモンは一昨年の12月、日本に帰る2週間ほど前に、私とジュリが近所の教会で見つけました。写真奥の三毛猫。シャム猫系と思わせる、毛が結構長い種類で、とにかく人懐っこく、1日だけ〜、と連れ帰って結局うちの子に。でもこの時、スリランカではトライキャットと言われる猫用のワクチンが不足していたため、シナモンは2回も入院することになり、かなり大変でした。今はびっくりするぐらい大きな猫になりましたが。。。

そして約1ヶ月前、これまた一時帰国前に、こんどは黒っぽいトラ柄の子猫が我が家の前に現れ。。。名前はスパイス系にすることは決めていて、カルダモン?トゥメリック?(どちらもスリランカ料理ではおなじみ)と悩んだのですが、結局もっとベーシックなペッパーに落ち着きました。この子もとっても人懐っこい猫です。シナモンとうまくいくかどうか心配でしたが、最初の2週間ぐらいは、シナモンの方がかなり意識している感じで、いじめてみたりしてましたが、一緒にいることも多く、うまくいきそうな感じ。私たちが日本にいていない間どうしてたのか、まだわかりませんが。。。リサーチによれば、猫2匹の場合、うちのようなメス猫2匹が、メス&オスとオス2匹の組み合わせと比べて、一番うまくいく可能性が高いそうです。ちなみにうちでは、フィジーでもトリノでも、猫2匹飼っていたんですよねー。その時は2回ともメス&オスの組み合わせでした。

最近読んだ本『坂の途中の家』2019/01/09 21:49

大好きな角田光代さんの本、久々に読みました。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、端的に言えば裁判員制度&幼児虐待の話。補欠裁判員に選ばれた主人公が、事件の詳細を追う過程で、自分自身の生き方についての考察を深めていく様が描かれています。

この本は、いろいろな読み方ができると思います。裁判員制度の是非に関わる視点から、子供の虐待をどうすればなくせるかという視点から、夫婦関係のあり方という視点から、など。でも私にとっては、日本人女性にとって生きる上での選択、という観点が一番強く心に残りました。

主人公はある意味、典型的な日本女性なのだと思います。結婚、退職、出産、育児。「当たり前」のライフコースを辿り、人からみたら羨まれてもおかしくない程度の幸せな境遇にありながら、どこかで閉塞感を感じる。私自身は、そういう伝統的な日本人女性の生き方からは随分外れた人生を歩んできましたが、こういうライフコースをよしとする強烈な社会規範は日本で生まれ育った過程で、ひしひしと感じてきました。そういうライフコースを否定するつもりは全くありませんし、育児の大変さを少しでも理解しているつもりの立場から言うと、専業主婦は本当にすごいと思います。それでもあえて言えば、この小説の 1つのメッセージは、女性が妻でもなく、母でもなく、1人の個人としてのアイデンティティーを持つことの大切さのような気がしてなりません。誤解を恐れずに言えば、妻として、そして母として、他人に尽くすことを最も大切なプライオリティーとして生きる生き方は、心のどこかに「闇」の部分をつくらずにはおかせないのかもしれない、ということです。

これは女性が全てキャリアウーマンになるべき、という意見ではありません。それが向いてない人もいるでしょうし、そうしたくてもできない境遇の人もいるでしょう。キャリアをきずかなくても、例えばここ数年のうちの旦那のように、走ることに生き甲斐を見出し、それに向かって突き進んでいく(彼は去年、シンガポールで人生初のフルマラソンを走りきりました)というんだっていいと思うんです。でも、個人が個人として、やりたいこと、好きなことを追及するというのは、実は自分の家族や周りの社会にとってもプラスであるような気がしてなりません。「あなたの為に生きている」というのは、共依存であり、自分と他人の境界を曖昧にする、ある意味危険な生き方ではないか、それをこの小説を読みながら強く感じました。

しかしさすが角田さん、人の闇を描く筆力は相変わらずすごいです。この小説では、同じ事件が様々な人の立場から描かれるので、ちょっとくどい感じがなきにしもあらずですが、それでもストーリーに惹きつけられ、数日で読み終わりました。彼女は今、源氏物語の新訳もやってるんですよね。読んでみたいです。

少子化問題、一考。2019/01/11 21:47

少子化問題は人口問題の1つなので、国連人口基金にも関わりのあるトピックということで、ちょっと自論をまとめておこうと思いました。(あくまで自論です。)

まず、少子化問題は、私に言わせればその核はジェンダー問題です。なぜ子供を産もうと思わない&思えないのか、それは単に教育費が高すぎるとか、子供を産んで自分の自由が奪われるのがやだとかだけではない、根本的なところでジェンダー、つまり男女の社会的に与えられた役割に関わる格差・差別、についての問題だと思います。

なぜ日本女性が子供を沢山産まないのか。ひとつは、これは当たり前の結果。先進国でTFR(合計特殊出生率)が高い国はほぼありません。国が栄え、教育を受けた女性が増え、加えて社会保障制度が整って、子供に老後を頼らなくてもよくなれば、「自然と」子供は2人前後でいいや、と思う人が増えるというのが全世界のトレンドです。これを、戦前や戦中と比べて、昔はもっと子供を産んでいた、とか言ってた人がいましたが、すごい勘違いと思います。

第2に、子供を産みたくても産めない、という状況があるのはよく知られている通りです。待機児童問題、男性の育休取得率は世界でも最下位クラス、というのでは、どう考えても仕事と育児の両立は難しい。そうなった時に、子供を産む方を取れる人はどんどん少なくなっています。非正規社員が増えている昨今、経済的にはその選択肢しかない、という人も多いでしょうし、教育を受けた女性は、自分のキャリアを投げ捨ててまで子供を産みたい、と思えないという場合も多いでしょう。だからこそ、鍵となるのはいかに女性が出産・育児をしつつ、キャリアを「男並みに」きづいていけるのか、という課題です。「男並みに」というのは、出産や育児で女性だけがキャリアの面で不利益を被らない、という意味です。このために大事なのは、逆説的ですが、日本人男性が働き方を変えることです。日本の長時間労働が少子化の一番の問題、というのはやーっと最近になって、超遅ればせながら認識されてきたような気がします。そういう意味では、少子化は根本的に、女性でなくて、男性の問題だと思います。

2番目と関連して、3番目には、未だに伝統的な家族間が支配的である環境では、前述したような理由とは別の理由で、産むという選択が難しいと感じる人々がいます。例えばシングルマザー。どこかの自治体は、少子化対策のために婚活応援のイベントとかやってるみたいですが、そんなんよりシングルマザーが楽に子育てできるような環境をつくる方がよっぽど効果的だと思うんですけど。そしてもちろん近年やっと認知されてきたLGBTのカップル。彼らだってもちろん子供は育てられますが、言うまでもなく社会的なハードルはすごく高い。あとは、結婚してない事実婚・パートナーシップの人々へも結婚しているカップルと違わない程度の融通(税制上の優遇を含む)が利くようになれば、それも出生率にはプラスに働くと思います。結婚が出産への不可欠な前提とされる社会規範を崩すことから、本当の少子化対策は始まれるのではないでしょうか?実際、先進国で出生率の回復に成功している国(北欧やフランス)では、もっと多様な家族のあり方を認められるような制度が整っています。

言いたい放題書きましたが、少子化問題で大事な原則は、ただ単に出生率の向上を目的にするのではなく、社会的な制度や不妊治療の環境を含め、子供を産みたい人が産める環境をつくる、ということです。産みたくない人はもちろん産まなくていい。何人産みたいかも、いつ産みたいかも、自分で決める。それがリプロダクティブ・ライツの基本原理であり、国連人口基金が目指すところでもあります。

最近読んだ本:"The Courage to Trust" by Cynthia Wall2019/01/19 17:53

新年のブログに、去年は仕事の面で、相当辛い1年だったと書きました。詳細は明らかにできませんが、12月頭頃には私はかなり行き詰まっていたと思います。今考えれば、被害者妄想のような気持ちで、今度はいつ誰に裏切られるのか、身構える感じで毎日過ごしていました。

そんな折、地域事務所から12月中旬にあった小さな会議のためにバンコクに来るように言われ、会議に出たついでに私の上司(スウェーデン人)と1対1で話す機会がありました。その時彼に「相当苦しそうだね。これからどうするのか、打開策を考えないといけないよ。今のままでは続けられないでしょう」と言われました。そう言われてみて、今更ながらはっとしたのです。「確かに、このままでは無理だ。誰も信用できないのにどうやってチームを率いていったらいいのか、自分でもわからない」と気がつきました。そしてもう一つ気がついたのは「私が2100万人いるスリランカ人の考え方を変えるのは当然無理なのだから、私自身が変わるしかない」という当たり前のことでした。とりあえず、この「気づき」を助けてくれた上司にお礼を言い、なんだか生まれ変わった気分でスリランカに戻ってきました。

その後、15年来の知り合いで、最近は私のメンターともなってくれているP氏(彼はリーダーシップやチームワークの専門家として世界中で働いています)に相談しました。彼には「君はまず、自分自身を100%信じることができるか、そこから始めてみたら」と言われたのです。この時また、私は他人だけでなく、自分自身のことまで信じられなくなっていたことに気がつきました。これはまた本格的な自分探しの旅か!と一瞬げんなりしたのですが(詳細は省きますが、私はエチオピアにいた2012から2013年にかけて、相当自分の問題を突き詰めたことがあります。これは革命的な経験でした。)彼に「誰でも、何層も限りなくある自分の問題を何度でも深めて行くことができるんだよ。君にはまたもう1層分、深いとこまで行く勇気とオプティミズムがある」と言われ、そっか、しゃあない、と腹をくくりました。

前置きが長くなりましたが、こういう経緯があって出会ったのがこの本です。邦訳は出ていないみたいですが、題名はずばり「信じる勇気」です。セラピストである著者は、このテーマをものすごく丁寧に、沢山の練習問題(?)を交えて、掘り下げていきます。とっても学ぶことが多かったのですが、私にとって一番役に立ったと思えたのは、自分の中にいる「子供」とその子供の自分を守ろうとする「保護者」と「大人」の3人を認識する、というアイデアでした。子供としての自分は、人を信頼したい、という純粋な気持ちと、傷つけられたくないという恐怖を持っています。保護者としての自分は、はそういう子供の気持ちに対して、理屈をつける等して、子供を守ろうとします。ここで大事なのは、大人の自分の声を聞き、それぞれの場面で、大人としてのバランスの取れた考え方、行動を取ることです。言われてみると、とても納得のいく考え方で、例えば裏切られたと感じた時に「もうやってられるか!」という子供っぽいリアクションとか、「自分を守るために、もう2度と人を信じるべきじゃない」という極端な考えが自分の中に生じる一方で、「それは違うでしょう」という大人の声がある。そういうことって、よくある気がします。そして著者によれば、子供時代に信頼を裏切られた経験が、自分の中でのパターンとして残っているので、そういう自分の幼少時代の体験を自分なりに理解しておくこと、そういう経験が大人としての自分の考えや行動にどういう影響を与えているか、与える可能性があるか、を認識しておくのはとても大切ということになります。

もう一つ、納得の考え方は、信じる対象というのは3種類あるということ。一つは他人、もう一つは将来、そして自分自身。まずは自分自身を信じられなかったら、前述の「大人としての自分」の声というのは聞こえなくなってしまうので、他人を信じるのは難しい。そしてそういう状況では、明るい未来を信じることなんて当然無理。私はなぜか、将来に関しては常に楽観しているので(多分今までなんだかんだいっても運がよかったから)それだけでなんとか去年の12月まではやってこれたのだと思います。

最終的に一番大事なのは、まさにP氏の言っていたように、自分を信じること、そして自分で自分のベストフレンドになることです。私はついつい嫌なことがあると自分を責めてしまいがちなのですが、これは止めないと、と心底思いました。そしてヨガや瞑想やマッサージ等、自分のケアをしっかりこれからもしないと。自分を大事に、これは新年にあたってとても素敵なテーマと思いました。

12月の段階では予測もしませんでしたが、日本から戻ってきて最近、職場でまた本当にとんでもないことがありました。もうここまで来ると笑えてくるぐらい、スリランカ人、すごすぎる。まだ解決していませんし、解決まではしばらくかかると思います。でもここ1ヶ月半ぐらいのミニ自分改革のおかげで、今回は全然落ち込んでません。この本のおかげ、というのも大いにあります。人や自分を信じるということを、しっかり掘り下げてみたい人にはオススメです。