公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーン2019/03/02 13:35

3月8日は国際女性デーということで、私たちの事務所では公共交通機関でのセクハラ撲滅に関する、大規模なキャンペーンをスタートしました。実はこのキャンペーン、去年の11月に計画されていたのですが、10月26日に始まった政治的なクライシス(無政府状態)のために、延期せざるをえませんでした。

昨日は夕方からこのキャンペーンのオープニングのイベントを開催しました。大変がっかりしたのは、参加すると言っていた女性省大臣も、交通省の副大臣も、結局ドタキャン。政府側からの参加は、コロンボ市長の女性のみとなりました。でも、オランダとカナダの大使も来てくれましたし、オーストラリアと日本の大使館からも参加者があり、嬉しかったです。

キャンペーンでは、16人のスリランカ人女性が自分のセクハラ経験を語ったものを、写真やビデオ、パネル展示などで表現したものをコロンボ市庁舎の横に立てたブースで見られるようにし、さらに学生やバスドライバーや車掌向けのトレーニングセッションなども行います。ちなみに、私たちが4年前に行った調査では、なんと90%のスリランカ女性が公共交通機関でのセクハラを経験しているとのこと。ひどいですね。

このキャンペーンのことを聞いてからか、交通省は最近、電車に女性専用車両を設ける、という発表をしました。これが解決策とは言えませんが、我が国でも女性専用車両はありますし、何もないよりはまし、であることは確か。これを機会に、セクハラが減るといいのですが。

写真はスピーチをしている私。またサリーを着てみましたが、やっぱりちゃんと着付けできていないせいか、快適だったとは言えないです。

日本政府からの1億6千万円のご支援2019/03/06 21:31

前述の公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーンはまだ続いているのですが、ものすごく評判になってしまい、明後日には総理大臣まで見に来ると。。。今日は偶然通りがかった南アフリカ大使が、ものすごく良かったと言って、所長である私とぜひ話をしたい、と言ってきたそうです。スタッフは寝ずに毎日働いてる感じなので、ちょっと心配なんですけど。

そんな中、今日はとても重要な式典がありました。去年からずっと準備してきたプロジェクトプロポーザルが、日本の閣議決定を経て、今日署名式の運びとなりました。保健省次官(写真のサリーの女性)も出席して頂き(彼女が遅刻してきたので焦った。。。)大使公邸の素敵なお部屋での式でした。

このプロジェクトで一番の目玉は、家族計画の「リブランディング」。スリランカでは家族計画は、特定の人種に対する人口制限のために使われる策略、みたいな悪いイメージがあり、女性の権利とか女性がエンパワーされるための重要なもの、という認識が弱いです。特に北部や東部では、避妊具を使って避妊している女性が20から30%だけ、という地域もあり。ここを変えないと、去年のように「避妊ピルが入っている食事を出しているムスリムの店がある」とかいうデマが流れ、それがきっかけで暴動に発展してしまったりする訳です。加えてこのプロジェクトでは、若者への性と生殖に関する健康についての情報とサービスの強化や、暴力の被害を受けた女性のためのシェルターの拡充もする予定です。

こんな大きな金額のプロジェクトで署名するなんて初めてなので、ちょっと緊張気味だった私、なんとスピーチの原稿を事務所に忘れてきてしまったことを、式が始まる直前に気がつき。もうしょうがないので、覚えている部分とアドリブで乗り切りましたよ。何やってんだかねー。英語だからなんとかなったけど、日本語だったら無理だったな。。。技術用語、日本語でわからないし。

1億6千万円の日本人の血税。別に他の国から頂くお金とありがたみが違うという意味ではありませんが、同じ日本人として、しっかりと大事に使わせて頂かなくては、と思います。

国際女性記念日2019/03/09 11:52

昨日は国際女性記念日ということで、朝4時起きで、アヌアダプラというスリランカの北中部にある街へ行ってきました。車で約4時間。巨大なテントが設けられていて、6000人の女性達がスリランカ各地から集められて参加していました。セレモニーでは、女性省大臣や大統領がスピーチを行いました。

アヌラダプラから戻ってきたのが午後4時頃。夜には、最終日となった私たちの公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーンの展示を見るために、なんと総理大臣が奥様と一緒に来てくれました!ギリギリまで彼らが来られるかどうかがわからず、バタバタしていたのですが、なんとかサリーを来て駆けつけることができましたー。

総理大臣が去ってから、南アフリカの大使(女性です)も来てくれて、彼女とは今度はまた別のプロジェクトの立ち上げの話をすることができました。こういう大成功のキャンペーンをやると、いろんな人々や団体から、一緒に何かやりましょう!という話が来るのが常で。そこが楽しくもあるのですが、大変でもあります。。。楽しようという目標はいつも延期されてしまうのでした。。。

リーダーシップ持論:その12019/03/10 08:15

トリノで働いていた時、リーダーシップトレーニングコースのコーディネートも一時期やっていた私。管理職となってからもうすぐ8年、自分なりにリーダーシップについての考え方も深めてきました。それで、ちょっとシリーズでまとめてみようかな、と思いました。

世界にはものすごい数のリーダーシップ理論がありますし、時代によってトレンドもありますが、一番よく言われることの一つのが「リーダーはビジョナリーであるべき」というものです。リーダーの最も大切な役割は、将来へのビジョンを示すこと、という訳。これが間違っていると言うつもりはありませんが、私はこれが最も重要とも思えないと常々感じてきました。と思ったら、最近のハーバードビジネスレビュー(HBR)にまさにこれ、「なぜビジョナリーなリーダーは失敗するのか」という記事が出てました。

この記事では、ビジョナリーなリーダーを育てるだけでなく「戦略的アラインメント」が重要ということが説明されています。要するに、ビジョナリーなリーダーが好きなことを自分勝手にやるのではなく、組織として1つの方向性を向いてやっていくよう、そこにも同じぐらい投資しないといけない、ということでしょうか。これ、実はすごく大事なことだと思います。特に国連のような巨大組織になると、世界中に散らばった国籍も文化もバラバラな人々が、同じ理念のもとに働かなくてはいけない。そのためには、リーダーが自分なりのビジョンを持った人であるだけでは充分ではなく、組織の理念、ビジョンを体現するようでなければ困ると思うのです。これが可能となるためには、組織としては、その理念やビジョンを体現する人を採用・昇進でも重視するべきだと思います。そこで一貫性がなかったら、どんなにリーダーシップトレーニングをやっても、あまり意味がないと言ってもいいと思います。

こう考えていくと、リーダーに一番ぐらい必要なこと、特に国連のような平和・人権・環境などに関わる仕事をする場所では、私は高い倫理基準だと思っています。自分の日々の仕事でも、倫理基準だけは妥協しない。そこでぶれなければ、あとはついてくる、と言ってもいいぐらい大事だと思います。倫理的に間違ったことはしない、間違ったことをしている人がいたら止めさせる、公正な組織の一員としての行動とイメージに注意する、などは、当たり前のはずでありながら、実は充分な注意が払われていないように思います。こういう考え方、あまりに常識的だからか、同じ意見の人にはあまり会わないのですが、それでもしつこく、私は倫理的なリーダーでありたい、といつも思いつつ仕事をしています。

次回は、リーダーシップを語る際には避けて通れない、人材のお話。

リーダーシップ持論:その22019/03/15 22:16

今日はリーダーシップと人材のお話。前回、私はビジョナリーなリーダー像をよしとする考え方に疑問を呈していたので、想像がつくかもしれませんが、私はリーダーというのは先頭を切って皆を引っ張って行く、というよりは、後ろからサポートするような役割であるべきと思っています。リーダーは、個人がそれぞれの才能を開花できるよう支援するべき。そうすれば、マイクロマネージする必要もなく、一定の方向性を示して、必要な時にアドバイスをするだけで、皆努力して、ぐんぐん伸びていくことが多いです。そういう風に、スタッフが成長していくのをサポートするのが、マネージャーとしての醍醐味かもしれません。

そこでものすごく重要になってくるのが、人材の採用です。ここで間違うと「間違って」採ってしまった人を指導するのに異様に時間とエネルギーを浪費するだけでなく、そういう人の悪影響を最小限にとどめるべく、ダメージコントロールにも時間とエネルギーを費やすことになります。しかし当然、「間違った」のかどうかというのは、結構後になるまでわからないこともあります。。。採用試験をすごく上手に通過するのに長けている人っていますので。

じゃあ採用する際に何を大切にすればいいのか。私の個人的な方針ですが、一つは国連の原則とするもの、例えば人権、正義、世界平和などに強い理解と情熱を持っている人。このレベルの信念は、採用してから変えるのは難しいので。例えば、お金が人生で一番大切だと思っている人は、国連に入っても充実感はなく、長続きしない、ということもあるし、もっと悪い場合は、汚職したりする可能性さえあります。もう一つ、私は常に、個人の持つ可能性で採用することにしています。例えば、募集している仕事と全く同じような経験・スキルを持っていて、明日からでも完璧にその仕事をこなせそうな人よりは、努力して、足りないところを補って、そのポストで1人前になるように頑張ってもらう必要がある人の方が、うまくいくことが多いと思っています。その「頑張る」エネルギーというのが、組織全体にとってもいい影響があるというのもあります。皆が切磋琢磨して、成長していくような職場にしたいですから。それと、私もこれまで随分、業績というよりは可能性で採用して頂いたなあ、という気持ちもあります。(笑)

もっと細かく具体的にどのようなスキルを重視するか、という点ですが、私が特に重視するのは、判断力。様々な場面で、的確な判断ができる能力というのはすごく重要だと思います。的確な判断をするためには、経験だけでなく、相手の立場になって物事を考えられることや、今からしようとすることに関して、長い目でみてどういう影響があるかを戦略的に思い描くこと等、いろいろなスキルが必要になります。そして私の経験では、判断力を育てるのは難しいです。どうしようもなく常識がなく、「なんで?」と思うような判断しかできない人が、その欠点を克服するのはかなり難しい。そういう人を育てるのも難しい。というのも、そういう人は自分のことがわかっていない場合がほとんどなので。。。でも、この判断力を採用試験で見極めるのも簡単ではないように思います。

実際に採用試験のプロセスでは、私はレファレンス(日本語では何でしょう。推薦?)を非常に重視します。書類として提出してもらうだけでなく、私は直属の上司だった人に、電話で連絡するようにしています。紙として残ると、批判的なことは書かない人が多いですが、電話だと細かなニュアンスもわかることが多いので。かなり下のレベルのポストでも、いちいち時間をかけてレファレンスチェックする価値はあると思っています。筆記試験と面接でわかることには限界がありますから。

そんなこんなで、人材の採用と、優秀な人材にとどまってもらうようにすることの2つには、大変な時間を取られてます。でも、できる人を採り続けることができれば、リーダーとしての仕事は40%ぐらい終わったようなものです。前述したように、そういう人は、自分で自分の目標を設定して、ぐんぐん伸びていきますので。あとは、彼らが飽きないように、新しい課題を与え、挑戦を楽しめるような環境をつくること。それでも、すごく優秀な人はいづれは次のステップへ移っていきますので、その時、交代できるだけの人材の層をつくっておく。言うは易しですが、これを全部きちんとやるのは、相当大変です!

次回は、業績評価について。

首相官邸でのイベント。2019/03/18 21:27

先週の土曜日は、首相官邸であった国際女性記念日関連のイベント「詩と音楽の夕べ」へ行ってきました。首相の奥様が、女性の権利に関する運動に強い関心を持っていらっしゃって、それもあって私を誘って下さったのですが、30人ぐらいの小さな集まりで、私以外の外交官は、イギリス大使とアメリカ大使だけでした。写真で挨拶をしているのが首相夫人です。

会場は広い首相官邸の一角に隠れるようにある、オープンエアの小さな舞台。蓮の花が咲き乱れる池があり、そこにロウソクを浮かべてあり、雰囲気満点です!

プログラムは、詩の朗読(クラシックな朗読から、劇のようなのまでありました)と音楽(ピアノの伴奏で、合唱やチェロの演奏)が絶妙に織り交ぜてあり、テーマは全て女性。セクハラのような社会的なテーマを扱ったものから、男性器についての斬新(!)なものまで、いろいろでしたが、どれもすごい!と唸ってしまうような上手さで、さすが国内でトップクラスのアーティストを集めただけある、という感じでした。私はチェロの演奏を聴きながら、鳥肌たったぐらいです。こんなプログラムに招待して頂けたのは本当に光栄でした!

スリランカ暮らしは実は苦労がすごく多くて、めげそうになることが多いのですが、こういうプログラムに接すると、この国の可能性を見せて頂いた感じがして、元気をもらった気がします。

リーダーシップ持論:その32019/03/23 09:14

業績評価に関しても、リーダーシップ論と同じぐらい様々な考え方がありますが、国連人口基金では、1年に3回、公式な業績評価に関わる機会があります。年の初めには、1年間の計画をし、8月頃には中間評価、そして年末には1年の総合評価。それぞれ、自分の上司と話し合って、オンラインのシステムに情報を入れていきます。加えて、上司以外からのフィードバックをもらうのも義務になっており、1年の始めに、他の国連機関等も含めた同僚の誰にフィードバックをもらうかを決めて、これもシステムに登録します。(部下からの評価は義務化されています。)

私の持論としては、こういう業績評価はないよりもあったほうがいい、と思っています。理想的には、こういうシステムがなくても、日常的にフィードバックを与え合う習慣があることですが、そういうのが文化的又は個人的にできにくい場合も多いでしょう。特にあまりポジティブでないフィードバックというのは、私の経験では、進んでする人はあまりいません。特にスリランカは表と裏を使い分けることがものすごく「普通」な文化なので、面と向かって相手に何か言うというのは、強制的にやらされないとしない人がほとんどだと思います。

上司としての私の原則は、何かフィードバックした方がいいという事件があった時には、できるだけ早く、できることならその場で話をすること。そして、同じことが繰り返されないための対策と、繰り返された場合はどうするか、というのを、オープンに話すこと。人によっては、間違いを繰り返しても、その結果何か自分に悪いことが起こらないのなら、態度を改めないという人もいますので。こういう人を脅すようなやり方は全然好きでなないのですが、スリランカに来てから、場合によっては必要だと思うようになりました。

かなり複雑な、個人の能力だけでなく性格に関わるような場合は、パターンを見据えて、細かな具体例を用意してから、話をするというアプローチを取る時もあります。この人、ちょっと問題だな、と思ったら、あったことを日記のように書き出し始めて、事例集をつくっておきます。これは最終的に、平均以下の業績評価を出す時には、絶対あった方がいいと思います。もちろんその上で、根気よく指導を続けて、改善されることが目標ですが。

これも私の経験では、自分のことが全く客観的に見えていない人というのが、一番やりにくいです。例えば、私から見ると明らかに期待されているレベルに達していないのに、自己評価が異様に高い人。こういう人には、いくら言っても無駄、という感じがしてしまいます。

問題のあるケースばかり書きましたが、もちろん、よくやってる人にはよい評価を与えることはとても大事だと思います。でも私は、半分以上の人にものすごくいい評価を出したりはしません。業績評価を人気取りの道具にして、ほとんどの人にすごくいい評価を出す上司もいるようですが。そんなによい評価の安売りしていたら、よい評価の価値が下がってしまうと思うので。と、また真面目に原則論で貫こうとする私でした。。。