イースター・サンデー・アタック2019/05/05 10:07

250人以上もの人が殺された、あの忌まわしいテロから今日でちょうど2週間。私たち家族はちょうど前日にシンガポールでの休暇から戻ってきて、のんびりとスーツケースに入っていた物を出したり、洗濯をしたりしていました。ピーターが「教会で爆破があったって、聞いた?」と言ってきたのが午前10時頃。そこから次々と爆破のニュースが入り、すぐ職場のスタッフの安否確認に入りました。幸い(?)去年の無政府状態の時にも安否確認はやっていたので、わりとすぐ全スタッフの無事は確認できましたが、一番最後まで連絡が取れなかったのが私のドライバーでキリスト教徒の男性。巻き込まれてたらどうしよう、と焦りましたが、別の教会のミサに出席していたとのことでした。それからの2週間は、ほぼ2・3日起きのセキュリティーに関する国連機関所長会議、本部や地域事務所との連絡、スタッフへの対応など、目まぐるしい日々でした。朝起きる度に、あんなことが本当に起こったのだろうか、悪い夢だったのでは?という感覚があり、職場には行けないので、日にちや曜日の感覚がなくなり、ルーティーンの大切さを改めて思う日々でした。ジュリも2週間学校に行けず、相当退屈しています。

スリランカが一般的にはテロの標的だとは思われていなかったこともあり、今回のことにはまだ誰もが「なぜ?」という気持ちで、何が起こったのか消化している段階だと思います。一方で、メディアでも伝えられている通り、大統領を始め、政府高官にテロの可能性があるという情報が随分前から、何度も伝えられていたのは事実であり、そういう意味では「起こるべくして起こった」というよりは「避けられた」テロだったと言えるでしょう。そんな回避可能の事態で250人以上の人が命を落とさねばならなかった、という状況には、まさに言葉を失います。

そんな中、私がすごく大事だと思うのは、この悲劇をスリランカにとってのターニングポイントとすることだと思います。ただ単に、悲劇を悲劇として乗り越えるのではなく、なぜこういうことが起こったのか、誰の責任だったのかを、責任のなすり合いで終わることなく、しっかりと検証する必要があると思います。今回のことについてメディアで発言しているスリランカ人も言っていることですが、責任は程度の差こそあれ、すべての人にあったはずです。こういう過激派があそこまでよくコーディネートされた大規模テロを実行することができた背景には、過激派の行動を容認する環境があったわけで、それにはスリランカの全国民、全住民が何らかの形で関わっていたと言えるはず。「私には関係無い」と言える人はいないはずです。

こういう考え方は、NYで9/11を経験した後や、福島原発事故の後にも私が主張していたことです。特に日本人の逆境から立ち直る力はすごいものがあると思います。でも、福島原発事故は自然災害ではありません。人災です。だからこそ、誰の責任だったのか、なぜあんなことが起こったのか、なぜ私たち国民は、あんな地震大国にものすごい数の原子力発電所がつくられるのを許してしまっていたのか、そういうことを考え、行動を改めないといけなかったと思います。残念ながら、あの3/11が日本でそういう機会になったとは思えませんが。

話をスリランカに戻します。全ての人に責任がある一方で、一番の責任者がいるのも事実です。そしてその一番の責任者が、一番責任逃れをしているのも、報道されている通りです。こういう状況は、この先のスリランカの政治、特に年末に控えた大統領選に影響があるのは必至です。当然のことながら、国民の中には、とにかく安定を望む声が大きくなっています。内戦が終わってからの10年間、人権や平和にあまりに焦点を当てすぎ、安全保障をないがしろにしてきたから、今回のテロは(国連を含め)人権擁護に注力してきた団体や人々のせいで起こった、とまでいう人々もいます。ここでスリランカは独裁者による警察国家を望むのか、それとも過去10年間、なんとか一生懸命育ててきた人権・平和・民族統合の種を育む政治を望むのか。まさに帰路に立つスリランカ、国連としてどうサポートしていけるのか、考えていきたいと思っています。