国際女性記念日2019/03/09 11:52

昨日は国際女性記念日ということで、朝4時起きで、アヌアダプラというスリランカの北中部にある街へ行ってきました。車で約4時間。巨大なテントが設けられていて、6000人の女性達がスリランカ各地から集められて参加していました。セレモニーでは、女性省大臣や大統領がスピーチを行いました。

アヌラダプラから戻ってきたのが午後4時頃。夜には、最終日となった私たちの公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーンの展示を見るために、なんと総理大臣が奥様と一緒に来てくれました!ギリギリまで彼らが来られるかどうかがわからず、バタバタしていたのですが、なんとかサリーを来て駆けつけることができましたー。

総理大臣が去ってから、南アフリカの大使(女性です)も来てくれて、彼女とは今度はまた別のプロジェクトの立ち上げの話をすることができました。こういう大成功のキャンペーンをやると、いろんな人々や団体から、一緒に何かやりましょう!という話が来るのが常で。そこが楽しくもあるのですが、大変でもあります。。。楽しようという目標はいつも延期されてしまうのでした。。。

日本政府からの1億6千万円のご支援2019/03/06 21:31

前述の公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーンはまだ続いているのですが、ものすごく評判になってしまい、明後日には総理大臣まで見に来ると。。。今日は偶然通りがかった南アフリカ大使が、ものすごく良かったと言って、所長である私とぜひ話をしたい、と言ってきたそうです。スタッフは寝ずに毎日働いてる感じなので、ちょっと心配なんですけど。

そんな中、今日はとても重要な式典がありました。去年からずっと準備してきたプロジェクトプロポーザルが、日本の閣議決定を経て、今日署名式の運びとなりました。保健省次官(写真のサリーの女性)も出席して頂き(彼女が遅刻してきたので焦った。。。)大使公邸の素敵なお部屋での式でした。

このプロジェクトで一番の目玉は、家族計画の「リブランディング」。スリランカでは家族計画は、特定の人種に対する人口制限のために使われる策略、みたいな悪いイメージがあり、女性の権利とか女性がエンパワーされるための重要なもの、という認識が弱いです。特に北部や東部では、避妊具を使って避妊している女性が20から30%だけ、という地域もあり。ここを変えないと、去年のように「避妊ピルが入っている食事を出しているムスリムの店がある」とかいうデマが流れ、それがきっかけで暴動に発展してしまったりする訳です。加えてこのプロジェクトでは、若者への性と生殖に関する健康についての情報とサービスの強化や、暴力の被害を受けた女性のためのシェルターの拡充もする予定です。

こんな大きな金額のプロジェクトで署名するなんて初めてなので、ちょっと緊張気味だった私、なんとスピーチの原稿を事務所に忘れてきてしまったことを、式が始まる直前に気がつき。もうしょうがないので、覚えている部分とアドリブで乗り切りましたよ。何やってんだかねー。英語だからなんとかなったけど、日本語だったら無理だったな。。。技術用語、日本語でわからないし。

1億6千万円の日本人の血税。別に他の国から頂くお金とありがたみが違うという意味ではありませんが、同じ日本人として、しっかりと大事に使わせて頂かなくては、と思います。

公共交通機関でのセクハラ撲滅キャンペーン2019/03/02 13:35

3月8日は国際女性デーということで、私たちの事務所では公共交通機関でのセクハラ撲滅に関する、大規模なキャンペーンをスタートしました。実はこのキャンペーン、去年の11月に計画されていたのですが、10月26日に始まった政治的なクライシス(無政府状態)のために、延期せざるをえませんでした。

昨日は夕方からこのキャンペーンのオープニングのイベントを開催しました。大変がっかりしたのは、参加すると言っていた女性省大臣も、交通省の副大臣も、結局ドタキャン。政府側からの参加は、コロンボ市長の女性のみとなりました。でも、オランダとカナダの大使も来てくれましたし、オーストラリアと日本の大使館からも参加者があり、嬉しかったです。

キャンペーンでは、16人のスリランカ人女性が自分のセクハラ経験を語ったものを、写真やビデオ、パネル展示などで表現したものをコロンボ市庁舎の横に立てたブースで見られるようにし、さらに学生やバスドライバーや車掌向けのトレーニングセッションなども行います。ちなみに、私たちが4年前に行った調査では、なんと90%のスリランカ女性が公共交通機関でのセクハラを経験しているとのこと。ひどいですね。

このキャンペーンのことを聞いてからか、交通省は最近、電車に女性専用車両を設ける、という発表をしました。これが解決策とは言えませんが、我が国でも女性専用車両はありますし、何もないよりはまし、であることは確か。これを機会に、セクハラが減るといいのですが。

写真はスピーチをしている私。またサリーを着てみましたが、やっぱりちゃんと着付けできていないせいか、快適だったとは言えないです。

最近読んだ本:「ゆれる」by 西川美和2019/02/09 18:16

「ゆれる」

西川美和さんの、映画を小説に書き落とした作品。この前モルジブで週末泊まっていたホテルに置いてあったので、読みました。面白くて1日で読みきりました!

この本も、この前読んだ角田光代さんの「坂の途中の家」みたいに、いろんな読み方ができると思います。日本の「家制度」的な伝統、兄弟関係、恋愛小説、などなど。私としては、人が自分の生き方を決めるとはどういうことなのか、という点を考えさせられました。

私自身は幸い、継がなければいけない稼業もないし、両親は「自立して、幸せでさえいてくれれば、何処で何をやって誰と一緒になっても構わない」という大変ありがたい放任主義だったので、好きなように生きてきたなあ、と我ながら思います。でも、日本では、この小説に出てくるように、やりたいことを諦めたり、それがわからなかったり、わかっていても自分でブレーキかけていたり、何というか、しがらみに絡み取られることが多いような気がします。やりたいことをやっていても、それなりの罪悪感や孤独感を味わうことになる。

一方、世界には超個人主義の国も沢山あり、スリランカもまさにそうだと思います。自分のことしか考えてない人があまりに多い。もうちょっと組織への忠誠心とか、仲間をいたわる気持ちとか、日本ほどでなくていいけど、ないのか?と日々びっくりさせられます。そこが、内戦の終結からまだ10年経っていない国の国民の生き方なのかもしれませんが。

結局、自分の幸せと、自分の属する共同体(家族・職場等)の幸せと、バランスを取りつつ、納得できる生き方ができればベストなんでしょうけど、それが難しい。でも日本社会はあまりに犠牲を当たり前にしすぎるような気がしてなりません。

と、以上は私の理屈っぽい読み方で、小説はこんな小難しいことを考えなくても十分楽しめます。さすが映画監督が書いただけあり、描写がとても美しい。日本語の美しさに感動しました。彼女の他の本もこれから読むつもり。

余談になりますが、最近新しく着任された駐コロンボの日本大使は、昔山形県警や皇室関連の部署で働いていたという異色の経歴の方なのですが、さすが皇室関連におられただけあり、日本語がきれい!この前、新年会のスピーチで淀みなく話されるのに感動しました。私が興奮してこの話をうちのスリランカ人スタッフにしたところ「日本人で日本語がきれいに話せるの、当たり前じゃん」みたいな顔をされてしまいました。。。

最近読んだ本:"The Courage to Trust" by Cynthia Wall2019/01/19 17:53

新年のブログに、去年は仕事の面で、相当辛い1年だったと書きました。詳細は明らかにできませんが、12月頭頃には私はかなり行き詰まっていたと思います。今考えれば、被害者妄想のような気持ちで、今度はいつ誰に裏切られるのか、身構える感じで毎日過ごしていました。

そんな折、地域事務所から12月中旬にあった小さな会議のためにバンコクに来るように言われ、会議に出たついでに私の上司(スウェーデン人)と1対1で話す機会がありました。その時彼に「相当苦しそうだね。これからどうするのか、打開策を考えないといけないよ。今のままでは続けられないでしょう」と言われました。そう言われてみて、今更ながらはっとしたのです。「確かに、このままでは無理だ。誰も信用できないのにどうやってチームを率いていったらいいのか、自分でもわからない」と気がつきました。そしてもう一つ気がついたのは「私が2100万人いるスリランカ人の考え方を変えるのは当然無理なのだから、私自身が変わるしかない」という当たり前のことでした。とりあえず、この「気づき」を助けてくれた上司にお礼を言い、なんだか生まれ変わった気分でスリランカに戻ってきました。

その後、15年来の知り合いで、最近は私のメンターともなってくれているP氏(彼はリーダーシップやチームワークの専門家として世界中で働いています)に相談しました。彼には「君はまず、自分自身を100%信じることができるか、そこから始めてみたら」と言われたのです。この時また、私は他人だけでなく、自分自身のことまで信じられなくなっていたことに気がつきました。これはまた本格的な自分探しの旅か!と一瞬げんなりしたのですが(詳細は省きますが、私はエチオピアにいた2012から2013年にかけて、相当自分の問題を突き詰めたことがあります。これは革命的な経験でした。)彼に「誰でも、何層も限りなくある自分の問題を何度でも深めて行くことができるんだよ。君にはまたもう1層分、深いとこまで行く勇気とオプティミズムがある」と言われ、そっか、しゃあない、と腹をくくりました。

前置きが長くなりましたが、こういう経緯があって出会ったのがこの本です。邦訳は出ていないみたいですが、題名はずばり「信じる勇気」です。セラピストである著者は、このテーマをものすごく丁寧に、沢山の練習問題(?)を交えて、掘り下げていきます。とっても学ぶことが多かったのですが、私にとって一番役に立ったと思えたのは、自分の中にいる「子供」とその子供の自分を守ろうとする「保護者」と「大人」の3人を認識する、というアイデアでした。子供としての自分は、人を信頼したい、という純粋な気持ちと、傷つけられたくないという恐怖を持っています。保護者としての自分は、はそういう子供の気持ちに対して、理屈をつける等して、子供を守ろうとします。ここで大事なのは、大人の自分の声を聞き、それぞれの場面で、大人としてのバランスの取れた考え方、行動を取ることです。言われてみると、とても納得のいく考え方で、例えば裏切られたと感じた時に「もうやってられるか!」という子供っぽいリアクションとか、「自分を守るために、もう2度と人を信じるべきじゃない」という極端な考えが自分の中に生じる一方で、「それは違うでしょう」という大人の声がある。そういうことって、よくある気がします。そして著者によれば、子供時代に信頼を裏切られた経験が、自分の中でのパターンとして残っているので、そういう自分の幼少時代の体験を自分なりに理解しておくこと、そういう経験が大人としての自分の考えや行動にどういう影響を与えているか、与える可能性があるか、を認識しておくのはとても大切ということになります。

もう一つ、納得の考え方は、信じる対象というのは3種類あるということ。一つは他人、もう一つは将来、そして自分自身。まずは自分自身を信じられなかったら、前述の「大人としての自分」の声というのは聞こえなくなってしまうので、他人を信じるのは難しい。そしてそういう状況では、明るい未来を信じることなんて当然無理。私はなぜか、将来に関しては常に楽観しているので(多分今までなんだかんだいっても運がよかったから)それだけでなんとか去年の12月まではやってこれたのだと思います。

最終的に一番大事なのは、まさにP氏の言っていたように、自分を信じること、そして自分で自分のベストフレンドになることです。私はついつい嫌なことがあると自分を責めてしまいがちなのですが、これは止めないと、と心底思いました。そしてヨガや瞑想やマッサージ等、自分のケアをしっかりこれからもしないと。自分を大事に、これは新年にあたってとても素敵なテーマと思いました。

12月の段階では予測もしませんでしたが、日本から戻ってきて最近、職場でまた本当にとんでもないことがありました。もうここまで来ると笑えてくるぐらい、スリランカ人、すごすぎる。まだ解決していませんし、解決まではしばらくかかると思います。でもここ1ヶ月半ぐらいのミニ自分改革のおかげで、今回は全然落ち込んでません。この本のおかげ、というのも大いにあります。人や自分を信じるということを、しっかり掘り下げてみたい人にはオススメです。

少子化問題、一考。2019/01/11 21:47

少子化問題は人口問題の1つなので、国連人口基金にも関わりのあるトピックということで、ちょっと自論をまとめておこうと思いました。(あくまで自論です。)

まず、少子化問題は、私に言わせればその核はジェンダー問題です。なぜ子供を産もうと思わない&思えないのか、それは単に教育費が高すぎるとか、子供を産んで自分の自由が奪われるのがやだとかだけではない、根本的なところでジェンダー、つまり男女の社会的に与えられた役割に関わる格差・差別、についての問題だと思います。

なぜ日本女性が子供を沢山産まないのか。ひとつは、これは当たり前の結果。先進国でTFR(合計特殊出生率)が高い国はほぼありません。国が栄え、教育を受けた女性が増え、加えて社会保障制度が整って、子供に老後を頼らなくてもよくなれば、「自然と」子供は2人前後でいいや、と思う人が増えるというのが全世界のトレンドです。これを、戦前や戦中と比べて、昔はもっと子供を産んでいた、とか言ってた人がいましたが、すごい勘違いと思います。

第2に、子供を産みたくても産めない、という状況があるのはよく知られている通りです。待機児童問題、男性の育休取得率は世界でも最下位クラス、というのでは、どう考えても仕事と育児の両立は難しい。そうなった時に、子供を産む方を取れる人はどんどん少なくなっています。非正規社員が増えている昨今、経済的にはその選択肢しかない、という人も多いでしょうし、教育を受けた女性は、自分のキャリアを投げ捨ててまで子供を産みたい、と思えないという場合も多いでしょう。だからこそ、鍵となるのはいかに女性が出産・育児をしつつ、キャリアを「男並みに」きづいていけるのか、という課題です。「男並みに」というのは、出産や育児で女性だけがキャリアの面で不利益を被らない、という意味です。このために大事なのは、逆説的ですが、日本人男性が働き方を変えることです。日本の長時間労働が少子化の一番の問題、というのはやーっと最近になって、超遅ればせながら認識されてきたような気がします。そういう意味では、少子化は根本的に、女性でなくて、男性の問題だと思います。

2番目と関連して、3番目には、未だに伝統的な家族間が支配的である環境では、前述したような理由とは別の理由で、産むという選択が難しいと感じる人々がいます。例えばシングルマザー。どこかの自治体は、少子化対策のために婚活応援のイベントとかやってるみたいですが、そんなんよりシングルマザーが楽に子育てできるような環境をつくる方がよっぽど効果的だと思うんですけど。そしてもちろん近年やっと認知されてきたLGBTのカップル。彼らだってもちろん子供は育てられますが、言うまでもなく社会的なハードルはすごく高い。あとは、結婚してない事実婚・パートナーシップの人々へも結婚しているカップルと違わない程度の融通(税制上の優遇を含む)が利くようになれば、それも出生率にはプラスに働くと思います。結婚が出産への不可欠な前提とされる社会規範を崩すことから、本当の少子化対策は始まれるのではないでしょうか?実際、先進国で出生率の回復に成功している国(北欧やフランス)では、もっと多様な家族のあり方を認められるような制度が整っています。

言いたい放題書きましたが、少子化問題で大事な原則は、ただ単に出生率の向上を目的にするのではなく、社会的な制度や不妊治療の環境を含め、子供を産みたい人が産める環境をつくる、ということです。産みたくない人はもちろん産まなくていい。何人産みたいかも、いつ産みたいかも、自分で決める。それがリプロダクティブ・ライツの基本原理であり、国連人口基金が目指すところでもあります。

最近読んだ本『坂の途中の家』2019/01/09 21:49

大好きな角田光代さんの本、久々に読みました。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、端的に言えば裁判員制度&幼児虐待の話。補欠裁判員に選ばれた主人公が、事件の詳細を追う過程で、自分自身の生き方についての考察を深めていく様が描かれています。

この本は、いろいろな読み方ができると思います。裁判員制度の是非に関わる視点から、子供の虐待をどうすればなくせるかという視点から、夫婦関係のあり方という視点から、など。でも私にとっては、日本人女性にとって生きる上での選択、という観点が一番強く心に残りました。

主人公はある意味、典型的な日本女性なのだと思います。結婚、退職、出産、育児。「当たり前」のライフコースを辿り、人からみたら羨まれてもおかしくない程度の幸せな境遇にありながら、どこかで閉塞感を感じる。私自身は、そういう伝統的な日本人女性の生き方からは随分外れた人生を歩んできましたが、こういうライフコースをよしとする強烈な社会規範は日本で生まれ育った過程で、ひしひしと感じてきました。そういうライフコースを否定するつもりは全くありませんし、育児の大変さを少しでも理解しているつもりの立場から言うと、専業主婦は本当にすごいと思います。それでもあえて言えば、この小説の 1つのメッセージは、女性が妻でもなく、母でもなく、1人の個人としてのアイデンティティーを持つことの大切さのような気がしてなりません。誤解を恐れずに言えば、妻として、そして母として、他人に尽くすことを最も大切なプライオリティーとして生きる生き方は、心のどこかに「闇」の部分をつくらずにはおかせないのかもしれない、ということです。

これは女性が全てキャリアウーマンになるべき、という意見ではありません。それが向いてない人もいるでしょうし、そうしたくてもできない境遇の人もいるでしょう。キャリアをきずかなくても、例えばここ数年のうちの旦那のように、走ることに生き甲斐を見出し、それに向かって突き進んでいく(彼は去年、シンガポールで人生初のフルマラソンを走りきりました)というんだっていいと思うんです。でも、個人が個人として、やりたいこと、好きなことを追及するというのは、実は自分の家族や周りの社会にとってもプラスであるような気がしてなりません。「あなたの為に生きている」というのは、共依存であり、自分と他人の境界を曖昧にする、ある意味危険な生き方ではないか、それをこの小説を読みながら強く感じました。

しかしさすが角田さん、人の闇を描く筆力は相変わらずすごいです。この小説では、同じ事件が様々な人の立場から描かれるので、ちょっとくどい感じがなきにしもあらずですが、それでもストーリーに惹きつけられ、数日で読み終わりました。彼女は今、源氏物語の新訳もやってるんですよね。読んでみたいです。

シナモン&ペッパー2019/01/05 22:37

ふと気がついたのですが、ほとんどブログを書かなかったこの1年ちょっとの間に、うちには家族が増えていたのです。猫2匹。

最初の猫、シナモンは一昨年の12月、日本に帰る2週間ほど前に、私とジュリが近所の教会で見つけました。写真奥の三毛猫。シャム猫系と思わせる、毛が結構長い種類で、とにかく人懐っこく、1日だけ〜、と連れ帰って結局うちの子に。でもこの時、スリランカではトライキャットと言われる猫用のワクチンが不足していたため、シナモンは2回も入院することになり、かなり大変でした。今はびっくりするぐらい大きな猫になりましたが。。。

そして約1ヶ月前、これまた一時帰国前に、こんどは黒っぽいトラ柄の子猫が我が家の前に現れ。。。名前はスパイス系にすることは決めていて、カルダモン?トゥメリック?(どちらもスリランカ料理ではおなじみ)と悩んだのですが、結局もっとベーシックなペッパーに落ち着きました。この子もとっても人懐っこい猫です。シナモンとうまくいくかどうか心配でしたが、最初の2週間ぐらいは、シナモンの方がかなり意識している感じで、いじめてみたりしてましたが、一緒にいることも多く、うまくいきそうな感じ。私たちが日本にいていない間どうしてたのか、まだわかりませんが。。。リサーチによれば、猫2匹の場合、うちのようなメス猫2匹が、メス&オスとオス2匹の組み合わせと比べて、一番うまくいく可能性が高いそうです。ちなみにうちでは、フィジーでもトリノでも、猫2匹飼っていたんですよねー。その時は2回ともメス&オスの組み合わせでした。

謹賀新年。2019/01/05 21:02

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。なんと去年1月以来ほぼ1年ブログ更新してませんでした。。。というのも、個人的には激動の1年だったのです。2月初めには、国連人口基金の親善大使であるハリウッド女優のアシュレイ・ジャッドの訪問があり、同下旬、スリランカの国連常駐代表であったイギリス人女性が急逝してしまいました。日頃会っていた人が亡くなったのはこれが初めての経験だったので、相当ショックでした。同月、モルジブで反政府デモに関連して非常事態宣言が発令され、3月初めにはスリランカでも東部と中部で暴動が起き、非常事態宣言が出されました。3月下旬には中米パナマでの全世界所長会議(めちゃ遠かったー)に出席。5月末、うちのスリランカ事務所では初の女性の生理に関するイベントで、日本でも最近話題になっているインドの映画「パッドマン」を上映しつつ、繰り返し使える生理用品を3つの企業からご協力を頂き、紹介。9月はインドネシアバリ島での人口問題に関する会議に出席。9月下旬には、日本の国会議員を招いて、高齢化問題に関する会議をコロンボで開催しました。10月下旬には、スリランカの大統領が突然首相を解任するという事件があり、その後約7週間にわたって、無政府状態が続きました。幸い、紛争にはならずに済みましたが。同じ頃、モルジブでも大統領選があり、こちらはポジティブな方向への変化であったものの、政権交代に伴い、いろいろと忙しくなりました。

こういう大きな動きの中で、仕事に関する人間関係の面では、ちょっと信じられない、常識を疑うようなショックな出来事が次々と起こり、かなり辛い1年だったというのが正直なところです。これまで私は自分の性格的に、まがったことが嫌いで、人との信頼関係を元に物事を進めていく、というやり方できたと思っているのですが、そういうまっすぐなやり方が通用しない人・状況もある、というのをこれでもかというぐらい思い知らされました。残念なことですが、他人を信頼することなく、悪意をもって攻撃する人もいる、人の信頼を裏切ることをなんとも思わない人も沢山いる、というのを痛感させられました。これはきっと、スリランカの26年に及ぶ内戦の歴史、そしてよく言われる南アジア特有の文化、というのもあるのだと思いますが、加えて、きっと私がこれまで相当運が良かった、というのもあるのでしょう。いづれにせよ、他人を、ひいては自分自身を、信頼するというのはどういう意味なのか、ずいぶん考えさせられた1年でした。

もちろん、大変辛かった1年というのは、学ぶことも大変多かった1年であり、そういう意味ではありがたい経験をさせてもらえた年とも言えます。辛い時にサポートしてくれる上司や友達のありがたさをひしひしと感じた1年でもありました。去年の占いでは「なんでもかかってこい」な1年のはずでしたが、そういう度量の大きさを示せた1年ではなかったです。でも、新しい1年を迎えるにあたって、怖いものはもうあまりないかな、という気持ちにはなれたので、よしとしましょう。

今年の大宮神社でのだるまみくじは大吉!占いによれば、天秤座は今年は「自分の美学の徹底的な追及」の年になるらしく、自分のやりたいことを追及して「納得がいくまで戦う」らしいです。そこまでの気負いはないですが、スリランカ&モルジブでの仕事も3年目に入ることですし、上手にプライオリティーをつけて、仕事以外のとこで楽しめる年にできたらなあ、と思います。ブログももうちょっと更新して。。。最近はFacebookとTwitterとインスタと3つやってるので、どうしてもブログはおろそかになってしまうのですが。どうぞ今年も宜しくお願い致します。

カナダとのパートナーシップ2018/01/13 21:50

日本から帰国、勤務開始2日目は私たちの事務所にとってとても嬉しい日となりました。去年の夏前から交渉中だった、カナダ政府からの支援がついに正式承認となったのでした。というか承認は私が休暇中に出てたのですが、コロンボでのセレモニーをやったのがこの日。

このカナダ政府の支援を元に、私たちはジェンダーに基づく暴力に関するサーベイをする予定です。このサーベイはいろいろな国でも実施されているのですが、スリランカはまだやっておらず、規模の小さいリサーチはいくつもあるものの、ジェンダーに基づく暴力に関する全貌というのは明らかになっていません。これはつまり、ジェンダーに基づく暴力に関する支援というのは、現在しっかりしたデータに基づいて行われている訳ではない、ということになります。英語でいうところの、暗闇の中で銃を撃ちまくる、という状況ですね。

プロジェクトには他にも国家人権委員会へのサポートや、ジェンダーに基づく暴力の被害者支援など、いろいろな活動が含まれているのですが、このジェンダーに基づく暴力に関するデータで全貌を明らかにするというのは、長いこと私たちの事務所の懸案だったので、本当に嬉しく思っています。

このセレモニーの写真はいくつか地元の新聞にも掲載され、またまた国連人口基金の存在をアピールする機会となりました。素晴らしい1年のスタート!頑張ってくれてるスタッフに感謝、です。