雇用について2019/08/25 11:29

近年(といってもだいぶ前からですが)日本では雇用形態の多様化が進んでいて、終身雇用制が過去のものとなったのは、よく知られているところです。多くの女性が社会保障のないパートだったり、これはこれでいろいろ問題があり、さらに最近は移民労働者(っていいます?)の課題もあり、職に関する話題はつきません。

一方のスリランカ。ここでの職に関する意識というのは、驚くべきものがあります。なのでちょっと書いておこうと思いました。

まず圧倒的多数の人、特に若者が、いわゆるパブリックセクター、公務員を目指します。たとえ私企業でお給料がずっといい仕事があっても、公務員がよい。安定してるし、社会的ステイタスも高い。そしてひどいのが、昔は(今も?)政治家が票稼ぎのために、公務員のポストを必要かどうかも考えずに分け与えていたので、多くの若者は仕事というのは、就職活動をして競争を勝ち抜かなくても、与えられるものであると思い込んでいるようであることです。つまり、職は与えてもらって当然、という意識。なのでよく、スリランカでは仕事がないことを理由にした若者のストライキがあります。きっと仕事が全くないのではなくて、彼らが欲するような仕事はない、又は彼らのスキルレベルでできる仕事はないということだと思うのですが。。。

こういう文化が根底にあると、大変なのがリクルートメント。これまでも苦労はしてきましたが、この前信じられないことがありました。私たちのオフィスで、今採用過程のかなりシニアなポストがあるのですが、これに応募してきた人のうちの一人が、私に脅迫ともとれるようなメールを送ってきたのです。曰く、自分はこれまで14年も関連分野で働いてきて、いい仕事をしてきたのに、筆記試験にも呼んでもらえないのは、おかしいと。これも問題の一つですが、この国でリクルートメントをしていると、情報が漏れないことはありません。すでに筆記試験が終わっているということをなぜこの人が知っているのか?この情報漏洩のおかげで、もっとひどいことになったことも過去にはあります。なので、今後は筆記試験や面接に呼んだ人には、呼ばれたということを誰にも言わないように、とお願いすることにしました。まあ、それでもしゃべる人はしゃべってしまうと思いますが。

私からしたら、これまで関連分野の同じ仕事で14年働いてきたからといって、もっとよい仕事に考慮してもらう可能性が自動的にあると思うのは、大きな間違い、驕りだと思います。国連は(きっと他もそうでしょうが)そんな甘い世界ではありません。自分がキャリアアップできずに、14年間同じ仕事をしているのを人のせいにする、しかも国連機関の所長に対して脅迫めいたメールで要求してくるというのは、呆れるというか、なんというか。

この国では、長く働けば成果を上げたかどうかに関わらず、昇進の機会があるべき、という年功序列の考え方がまだまだ強い、と言えると思います。これまでも、そういう文化なんだな、と思ってしまう残念なことがいくつもあったのですが、この事件には相当びっくりしました。最近の調査によると、スリランカの若者が仕事につけない理由のトップ3は、ネガティブな態度、コミュニケーション・スキルの欠如、英語力のなさ、だそうです。このネガティブな態度をどうにかしないといけないと思うのですが、それにはきっと根本的な教育制度の改革が必要なのだろう、と思います。

イースター・サンデー・アタック2019/05/05 10:07

250人以上もの人が殺された、あの忌まわしいテロから今日でちょうど2週間。私たち家族はちょうど前日にシンガポールでの休暇から戻ってきて、のんびりとスーツケースに入っていた物を出したり、洗濯をしたりしていました。ピーターが「教会で爆破があったって、聞いた?」と言ってきたのが午前10時頃。そこから次々と爆破のニュースが入り、すぐ職場のスタッフの安否確認に入りました。幸い(?)去年の無政府状態の時にも安否確認はやっていたので、わりとすぐ全スタッフの無事は確認できましたが、一番最後まで連絡が取れなかったのが私のドライバーでキリスト教徒の男性。巻き込まれてたらどうしよう、と焦りましたが、別の教会のミサに出席していたとのことでした。それからの2週間は、ほぼ2・3日起きのセキュリティーに関する国連機関所長会議、本部や地域事務所との連絡、スタッフへの対応など、目まぐるしい日々でした。朝起きる度に、あんなことが本当に起こったのだろうか、悪い夢だったのでは?という感覚があり、職場には行けないので、日にちや曜日の感覚がなくなり、ルーティーンの大切さを改めて思う日々でした。ジュリも2週間学校に行けず、相当退屈しています。

スリランカが一般的にはテロの標的だとは思われていなかったこともあり、今回のことにはまだ誰もが「なぜ?」という気持ちで、何が起こったのか消化している段階だと思います。一方で、メディアでも伝えられている通り、大統領を始め、政府高官にテロの可能性があるという情報が随分前から、何度も伝えられていたのは事実であり、そういう意味では「起こるべくして起こった」というよりは「避けられた」テロだったと言えるでしょう。そんな回避可能の事態で250人以上の人が命を落とさねばならなかった、という状況には、まさに言葉を失います。

そんな中、私がすごく大事だと思うのは、この悲劇をスリランカにとってのターニングポイントとすることだと思います。ただ単に、悲劇を悲劇として乗り越えるのではなく、なぜこういうことが起こったのか、誰の責任だったのかを、責任のなすり合いで終わることなく、しっかりと検証する必要があると思います。今回のことについてメディアで発言しているスリランカ人も言っていることですが、責任は程度の差こそあれ、すべての人にあったはずです。こういう過激派があそこまでよくコーディネートされた大規模テロを実行することができた背景には、過激派の行動を容認する環境があったわけで、それにはスリランカの全国民、全住民が何らかの形で関わっていたと言えるはず。「私には関係無い」と言える人はいないはずです。

こういう考え方は、NYで9/11を経験した後や、福島原発事故の後にも私が主張していたことです。特に日本人の逆境から立ち直る力はすごいものがあると思います。でも、福島原発事故は自然災害ではありません。人災です。だからこそ、誰の責任だったのか、なぜあんなことが起こったのか、なぜ私たち国民は、あんな地震大国にものすごい数の原子力発電所がつくられるのを許してしまっていたのか、そういうことを考え、行動を改めないといけなかったと思います。残念ながら、あの3/11が日本でそういう機会になったとは思えませんが。

話をスリランカに戻します。全ての人に責任がある一方で、一番の責任者がいるのも事実です。そしてその一番の責任者が、一番責任逃れをしているのも、報道されている通りです。こういう状況は、この先のスリランカの政治、特に年末に控えた大統領選に影響があるのは必至です。当然のことながら、国民の中には、とにかく安定を望む声が大きくなっています。内戦が終わってからの10年間、人権や平和にあまりに焦点を当てすぎ、安全保障をないがしろにしてきたから、今回のテロは(国連を含め)人権擁護に注力してきた団体や人々のせいで起こった、とまでいう人々もいます。ここでスリランカは独裁者による警察国家を望むのか、それとも過去10年間、なんとか一生懸命育ててきた人権・平和・民族統合の種を育む政治を望むのか。まさに帰路に立つスリランカ、国連としてどうサポートしていけるのか、考えていきたいと思っています。

シンガポールの歴史2019/04/19 19:59

さて、日本ではあまり知られていないかもしれませんが、スリランカではよく、「スリランカはシンガポールになれたはずなのに」というコメントをよく聞きます。同じ多民族の島国で、地政学的に戦略的な位置にあり、旧イギリス植民地という共通の歴史もあるからかもしれません。しかし、26年の内戦を経て、残念なことですが、今ではシンガポールとスリランカではまさに発展に雲泥の差があります。シンガポールに25年ぶりに来てみて、ほぼ東京と変わらないシンガポールの様子を目の当たりにし、私はまるでスリランカ人になった気分でスリランカの状況を振り返り、正直、かなり失望した気持ちになってしまいました。

今回の休暇では、博物館などでシンガポールの歴史に触れる機会が多くあったのですが(今日行った国立博物館では、日本の占領時代のことがものすごく悲惨に展示されていて、一方イギリスの植民地時代は悲しい時代ではなかったような展示で、びっくりしました)どこでどう間違って、スリランカはこうなっちゃったんだろう、と考えました。そんな中で、今まで知らなかった「シンガポールの国民の誓い」という国家のモットーのようなものがあるのを知りました。これはシンガポールの独立の翌年、閣議決定したものだそうです。引用します。

「われわれシンガポール国民は われわれ自身に誓う 一つの団結した民として 人種や言語、宗教に寄らず 民主的な社会を築くことを 正義と平等に基づいて 我々の国の幸福、繁栄、発展を成し遂げるために」

まさに多民族国家ならではの誓い、という感じですよね。この精神で一致団結できたからこそ、シンガポールの発展があったのでは?と思わされました。もちろん、その中でいろいろと紆余曲折はあったのでしょうが。

さらに悲しいよなあ、と思ってしまうのは、このシンガポールの誓いの草案者が、なんとイギリス植民地時代のスリランカ(セイロン)で生まれたS.ラジャラトナムという人だったんですね。彼は1980年から1985年まで、副首相でもありました。スリランカ人にはこういう風にものすごく知的でできる人も沢山いるのですが、こういう人はほとんど国の外で活躍してます。

これも今回来るまで気がつかなかったのですが、シンガポールの公用語は、英語・中国語・マレー語・タミル語です。インド系言語がヒンズー語でなくてタミル語というのは、インドのタミル・ナドゥ州やスリランカ北部から連れて来られた人々の祖先が多いということでしょうか。この4ヶ国語表記というのは相当徹底していて、それもすごい、と思いました。国の持つ多様性を、強みとして引き出していく、その姿勢には日本を含め、各国が学ぶところがあるような気がします。

リーダーシップ持論:その32019/03/23 09:14

業績評価に関しても、リーダーシップ論と同じぐらい様々な考え方がありますが、国連人口基金では、1年に3回、公式な業績評価に関わる機会があります。年の初めには、1年間の計画をし、8月頃には中間評価、そして年末には1年の総合評価。それぞれ、自分の上司と話し合って、オンラインのシステムに情報を入れていきます。加えて、上司以外からのフィードバックをもらうのも義務になっており、1年の始めに、他の国連機関等も含めた同僚の誰にフィードバックをもらうかを決めて、これもシステムに登録します。(部下からの評価は義務化されています。)

私の持論としては、こういう業績評価はないよりもあったほうがいい、と思っています。理想的には、こういうシステムがなくても、日常的にフィードバックを与え合う習慣があることですが、そういうのが文化的又は個人的にできにくい場合も多いでしょう。特にあまりポジティブでないフィードバックというのは、私の経験では、進んでする人はあまりいません。特にスリランカは表と裏を使い分けることがものすごく「普通」な文化なので、面と向かって相手に何か言うというのは、強制的にやらされないとしない人がほとんどだと思います。

上司としての私の原則は、何かフィードバックした方がいいという事件があった時には、できるだけ早く、できることならその場で話をすること。そして、同じことが繰り返されないための対策と、繰り返された場合はどうするか、というのを、オープンに話すこと。人によっては、間違いを繰り返しても、その結果何か自分に悪いことが起こらないのなら、態度を改めないという人もいますので。こういう人を脅すようなやり方は全然好きでなないのですが、スリランカに来てから、場合によっては必要だと思うようになりました。

かなり複雑な、個人の能力だけでなく性格に関わるような場合は、パターンを見据えて、細かな具体例を用意してから、話をするというアプローチを取る時もあります。この人、ちょっと問題だな、と思ったら、あったことを日記のように書き出し始めて、事例集をつくっておきます。これは最終的に、平均以下の業績評価を出す時には、絶対あった方がいいと思います。もちろんその上で、根気よく指導を続けて、改善されることが目標ですが。

これも私の経験では、自分のことが全く客観的に見えていない人というのが、一番やりにくいです。例えば、私から見ると明らかに期待されているレベルに達していないのに、自己評価が異様に高い人。こういう人には、いくら言っても無駄、という感じがしてしまいます。

問題のあるケースばかり書きましたが、もちろん、よくやってる人にはよい評価を与えることはとても大事だと思います。でも私は、半分以上の人にものすごくいい評価を出したりはしません。業績評価を人気取りの道具にして、ほとんどの人にすごくいい評価を出す上司もいるようですが。そんなによい評価の安売りしていたら、よい評価の価値が下がってしまうと思うので。と、また真面目に原則論で貫こうとする私でした。。。

リーダーシップ持論:その22019/03/15 22:16

今日はリーダーシップと人材のお話。前回、私はビジョナリーなリーダー像をよしとする考え方に疑問を呈していたので、想像がつくかもしれませんが、私はリーダーというのは先頭を切って皆を引っ張って行く、というよりは、後ろからサポートするような役割であるべきと思っています。リーダーは、個人がそれぞれの才能を開花できるよう支援するべき。そうすれば、マイクロマネージする必要もなく、一定の方向性を示して、必要な時にアドバイスをするだけで、皆努力して、ぐんぐん伸びていくことが多いです。そういう風に、スタッフが成長していくのをサポートするのが、マネージャーとしての醍醐味かもしれません。

そこでものすごく重要になってくるのが、人材の採用です。ここで間違うと「間違って」採ってしまった人を指導するのに異様に時間とエネルギーを浪費するだけでなく、そういう人の悪影響を最小限にとどめるべく、ダメージコントロールにも時間とエネルギーを費やすことになります。しかし当然、「間違った」のかどうかというのは、結構後になるまでわからないこともあります。。。採用試験をすごく上手に通過するのに長けている人っていますので。

じゃあ採用する際に何を大切にすればいいのか。私の個人的な方針ですが、一つは国連の原則とするもの、例えば人権、正義、世界平和などに強い理解と情熱を持っている人。このレベルの信念は、採用してから変えるのは難しいので。例えば、お金が人生で一番大切だと思っている人は、国連に入っても充実感はなく、長続きしない、ということもあるし、もっと悪い場合は、汚職したりする可能性さえあります。もう一つ、私は常に、個人の持つ可能性で採用することにしています。例えば、募集している仕事と全く同じような経験・スキルを持っていて、明日からでも完璧にその仕事をこなせそうな人よりは、努力して、足りないところを補って、そのポストで1人前になるように頑張ってもらう必要がある人の方が、うまくいくことが多いと思っています。その「頑張る」エネルギーというのが、組織全体にとってもいい影響があるというのもあります。皆が切磋琢磨して、成長していくような職場にしたいですから。それと、私もこれまで随分、業績というよりは可能性で採用して頂いたなあ、という気持ちもあります。(笑)

もっと細かく具体的にどのようなスキルを重視するか、という点ですが、私が特に重視するのは、判断力。様々な場面で、的確な判断ができる能力というのはすごく重要だと思います。的確な判断をするためには、経験だけでなく、相手の立場になって物事を考えられることや、今からしようとすることに関して、長い目でみてどういう影響があるかを戦略的に思い描くこと等、いろいろなスキルが必要になります。そして私の経験では、判断力を育てるのは難しいです。どうしようもなく常識がなく、「なんで?」と思うような判断しかできない人が、その欠点を克服するのはかなり難しい。そういう人を育てるのも難しい。というのも、そういう人は自分のことがわかっていない場合がほとんどなので。。。でも、この判断力を採用試験で見極めるのも簡単ではないように思います。

実際に採用試験のプロセスでは、私はレファレンス(日本語では何でしょう。推薦?)を非常に重視します。書類として提出してもらうだけでなく、私は直属の上司だった人に、電話で連絡するようにしています。紙として残ると、批判的なことは書かない人が多いですが、電話だと細かなニュアンスもわかることが多いので。かなり下のレベルのポストでも、いちいち時間をかけてレファレンスチェックする価値はあると思っています。筆記試験と面接でわかることには限界がありますから。

そんなこんなで、人材の採用と、優秀な人材にとどまってもらうようにすることの2つには、大変な時間を取られてます。でも、できる人を採り続けることができれば、リーダーとしての仕事は40%ぐらい終わったようなものです。前述したように、そういう人は、自分で自分の目標を設定して、ぐんぐん伸びていきますので。あとは、彼らが飽きないように、新しい課題を与え、挑戦を楽しめるような環境をつくること。それでも、すごく優秀な人はいづれは次のステップへ移っていきますので、その時、交代できるだけの人材の層をつくっておく。言うは易しですが、これを全部きちんとやるのは、相当大変です!

次回は、業績評価について。

少子化問題、一考。2019/01/11 21:47

少子化問題は人口問題の1つなので、国連人口基金にも関わりのあるトピックということで、ちょっと自論をまとめておこうと思いました。(あくまで自論です。)

まず、少子化問題は、私に言わせればその核はジェンダー問題です。なぜ子供を産もうと思わない&思えないのか、それは単に教育費が高すぎるとか、子供を産んで自分の自由が奪われるのがやだとかだけではない、根本的なところでジェンダー、つまり男女の社会的に与えられた役割に関わる格差・差別、についての問題だと思います。

なぜ日本女性が子供を沢山産まないのか。ひとつは、これは当たり前の結果。先進国でTFR(合計特殊出生率)が高い国はほぼありません。国が栄え、教育を受けた女性が増え、加えて社会保障制度が整って、子供に老後を頼らなくてもよくなれば、「自然と」子供は2人前後でいいや、と思う人が増えるというのが全世界のトレンドです。これを、戦前や戦中と比べて、昔はもっと子供を産んでいた、とか言ってた人がいましたが、すごい勘違いと思います。

第2に、子供を産みたくても産めない、という状況があるのはよく知られている通りです。待機児童問題、男性の育休取得率は世界でも最下位クラス、というのでは、どう考えても仕事と育児の両立は難しい。そうなった時に、子供を産む方を取れる人はどんどん少なくなっています。非正規社員が増えている昨今、経済的にはその選択肢しかない、という人も多いでしょうし、教育を受けた女性は、自分のキャリアを投げ捨ててまで子供を産みたい、と思えないという場合も多いでしょう。だからこそ、鍵となるのはいかに女性が出産・育児をしつつ、キャリアを「男並みに」きづいていけるのか、という課題です。「男並みに」というのは、出産や育児で女性だけがキャリアの面で不利益を被らない、という意味です。このために大事なのは、逆説的ですが、日本人男性が働き方を変えることです。日本の長時間労働が少子化の一番の問題、というのはやーっと最近になって、超遅ればせながら認識されてきたような気がします。そういう意味では、少子化は根本的に、女性でなくて、男性の問題だと思います。

2番目と関連して、3番目には、未だに伝統的な家族間が支配的である環境では、前述したような理由とは別の理由で、産むという選択が難しいと感じる人々がいます。例えばシングルマザー。どこかの自治体は、少子化対策のために婚活応援のイベントとかやってるみたいですが、そんなんよりシングルマザーが楽に子育てできるような環境をつくる方がよっぽど効果的だと思うんですけど。そしてもちろん近年やっと認知されてきたLGBTのカップル。彼らだってもちろん子供は育てられますが、言うまでもなく社会的なハードルはすごく高い。あとは、結婚してない事実婚・パートナーシップの人々へも結婚しているカップルと違わない程度の融通(税制上の優遇を含む)が利くようになれば、それも出生率にはプラスに働くと思います。結婚が出産への不可欠な前提とされる社会規範を崩すことから、本当の少子化対策は始まれるのではないでしょうか?実際、先進国で出生率の回復に成功している国(北欧やフランス)では、もっと多様な家族のあり方を認められるような制度が整っています。

言いたい放題書きましたが、少子化問題で大事な原則は、ただ単に出生率の向上を目的にするのではなく、社会的な制度や不妊治療の環境を含め、子供を産みたい人が産める環境をつくる、ということです。産みたくない人はもちろん産まなくていい。何人産みたいかも、いつ産みたいかも、自分で決める。それがリプロダクティブ・ライツの基本原理であり、国連人口基金が目指すところでもあります。

謹賀新年。2019/01/05 21:02

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。なんと去年1月以来ほぼ1年ブログ更新してませんでした。。。というのも、個人的には激動の1年だったのです。2月初めには、国連人口基金の親善大使であるハリウッド女優のアシュレイ・ジャッドの訪問があり、同下旬、スリランカの国連常駐代表であったイギリス人女性が急逝してしまいました。日頃会っていた人が亡くなったのはこれが初めての経験だったので、相当ショックでした。同月、モルジブで反政府デモに関連して非常事態宣言が発令され、3月初めにはスリランカでも東部と中部で暴動が起き、非常事態宣言が出されました。3月下旬には中米パナマでの全世界所長会議(めちゃ遠かったー)に出席。5月末、うちのスリランカ事務所では初の女性の生理に関するイベントで、日本でも最近話題になっているインドの映画「パッドマン」を上映しつつ、繰り返し使える生理用品を3つの企業からご協力を頂き、紹介。9月はインドネシアバリ島での人口問題に関する会議に出席。9月下旬には、日本の国会議員を招いて、高齢化問題に関する会議をコロンボで開催しました。10月下旬には、スリランカの大統領が突然首相を解任するという事件があり、その後約7週間にわたって、無政府状態が続きました。幸い、紛争にはならずに済みましたが。同じ頃、モルジブでも大統領選があり、こちらはポジティブな方向への変化であったものの、政権交代に伴い、いろいろと忙しくなりました。

こういう大きな動きの中で、仕事に関する人間関係の面では、ちょっと信じられない、常識を疑うようなショックな出来事が次々と起こり、かなり辛い1年だったというのが正直なところです。これまで私は自分の性格的に、まがったことが嫌いで、人との信頼関係を元に物事を進めていく、というやり方できたと思っているのですが、そういうまっすぐなやり方が通用しない人・状況もある、というのをこれでもかというぐらい思い知らされました。残念なことですが、他人を信頼することなく、悪意をもって攻撃する人もいる、人の信頼を裏切ることをなんとも思わない人も沢山いる、というのを痛感させられました。これはきっと、スリランカの26年に及ぶ内戦の歴史、そしてよく言われる南アジア特有の文化、というのもあるのだと思いますが、加えて、きっと私がこれまで相当運が良かった、というのもあるのでしょう。いづれにせよ、他人を、ひいては自分自身を、信頼するというのはどういう意味なのか、ずいぶん考えさせられた1年でした。

もちろん、大変辛かった1年というのは、学ぶことも大変多かった1年であり、そういう意味ではありがたい経験をさせてもらえた年とも言えます。辛い時にサポートしてくれる上司や友達のありがたさをひしひしと感じた1年でもありました。去年の占いでは「なんでもかかってこい」な1年のはずでしたが、そういう度量の大きさを示せた1年ではなかったです。でも、新しい1年を迎えるにあたって、怖いものはもうあまりないかな、という気持ちにはなれたので、よしとしましょう。

今年の大宮神社でのだるまみくじは大吉!占いによれば、天秤座は今年は「自分の美学の徹底的な追及」の年になるらしく、自分のやりたいことを追及して「納得がいくまで戦う」らしいです。そこまでの気負いはないですが、スリランカ&モルジブでの仕事も3年目に入ることですし、上手にプライオリティーをつけて、仕事以外のとこで楽しめる年にできたらなあ、と思います。ブログももうちょっと更新して。。。最近はFacebookとTwitterとインスタと3つやってるので、どうしてもブログはおろそかになってしまうのですが。どうぞ今年も宜しくお願い致します。

あけましておめでとうございます。2017/01/01 08:55

あけましておめでとうございます。今年も無事年越しを日本で迎えられることができ、感謝。振り返れば、なかなか大変な1年でした。特に仕事の面で…。とにかく我慢に我慢を重ねなければならない場面ばかりで、この年になってもまがったことの嫌いな私には、納得のいかないことばかり。ストレスもたまりまくり。でも、前の上司のおかげで、所長への昇格試験も受けさせてもらうことができ、合格しただけでなく、年末には次のステップへのオファーまで頂き、結果としてはいい1年だったのだと思います。プライベートでも、ヨガの先生の資格を取り、ジュリは学校でも特に問題なく、ピーターはマラソンという新しい趣味を開拓してめちゃ痩せたし、まあ充実した1年でした。これも支えて下さった沢山の人々のおかげです。

さて今年はまたまた変化の年になりそうです。でも一説によると天秤座は12年に一度の幸運年らしいので、幸運をうまく活かせるように頑張りたい。苦しいことも沢山ある1年になるんだろうと思いますが、与えられたチャンスをしっかりと受け止め、いい仕事をしたいです。もちろん、家族へのサポートも大切に。特にジュリはあんまり新しい環境に馴染むのが得意でない性格なので、なんとかスムーズに移行できるといいのですが…。とにかく前向きに、1日1日を大切にして過ごしたいです。今年もどうぞ宜しくお願いします!

次期国連事務総長2016/10/09 08:44

次期国連事務総長候補が安全保障理事会全員一致でポルトガル人のアントニオ・グテレス氏に決まったことは、当然のことながら、国連職員の間でもっぱらの話題の種なのですが、ここで私見も述べたいと思います。結論から先に言えば、私は彼に決まって良かった!と思っています。女性じゃなくて残念という気持ちはもちろんない訳ではないですが、彼のバックグラウンド、経験、リーダーシップ能力、どこから見ても、最適任だと思えるからです。今年4月の時点での、国連に対するビジョンという演説をビデオで聞いても、すごい!と思わざるを得ませんでした。「私は、とても恵まれた人間だと思っています。だから、この世界に対して貢献する義務がある」から始まる彼のスピーチは、平和と人権という国連憲章の精神に基づき、現在の国際社会が抱える問題を武力でなく、国連という枠組を使っての外交によって解決するという決意に満ち溢れていました。国連公用語6つのうちの3つ(英・仏・西語)を自在に使ってのスピーチを聞きながら、この人の元で働いてみたい、と思ってしまったほど!

知られている通り、彼は最近まで10年間、国連難民高等弁務官として国連での難民問題担当の最も高い地位にいました。難民問題が、現在の国際社会の最重要問題の1つであることは否定しようがなく、その意味でもよい人選だと思います。そして、国連というのは超巨大官僚組織なので、私としては、やっぱりそこでの経験があった人の方が、早く結果が出しやすいように思うのです。コフィー・アナンも国連で叩き上げのキャリアだったし、全く外部から来た人が、国連という組織の動き方を理解するのに数ヶ月もかかるようじゃ、なかなか難しいと思います。

ちなみに、今回の決定で、慣習だった国連事務総長ポストの地域輪番制が崩れたことになります。今回は、東ヨーロッパの番、ということで、候補者の中にも沢山東ヨーロッパ人がいた訳で、最後の最後になって、新しくもう1人ブルガリア人女性がレースに参加してきたりしました。でもやっぱり実績重視で、グテレス氏になったのだろうと思います。

一方、各国所長レベルの人の反応を見ていて、面白いことがありました。男性の所長は「女性でないのが残念」とか「女性の方がよかった」と強く主張する人が多いのに比べ、女性の所長はグテレスでよかった!という人が多かったこと。これは何なんでしょう。男性所長は、ここで「女性がよかった」と言わないと、政治的に正しくない、と思っているからでしょうか?私に言わせれば、これまでフェミニストは、女性の社会・政治参加が「トークニズム(体裁を整えるために女性の参加を促したりすること)」にならないように、という主張を続けてきたのに、ここで女性でさえあればいい、ような主張をするのは、かえって女性に失礼だと思うのです。ちなみに、グテレス氏は、国連内での男女の雇用機会均等をとても重視していて、副事務総長もきっと女性が入ると思いますし、きっと重要ポストにも今よりずっと女性が登用されるだろうと思います。

新しい事務総長で始まる、新しい国連。どんなものになるのか、とっても楽しみです。

近況報告2016/09/05 21:41

また更新できないまま日が過ぎてしまいました。夏休みから戻ってからというもの、バタバタとものすごい忙しさ。出張も多くて、先週は5日間バンコクに行っていました。これはセクシュアリティー教育(単なる性教育とは異なり、ジェンダーの観点から性と生殖に関する健康を始め、人権や文化の問題もカバーします)がテーマのミーティングだったのですが、なかなか面白かったです。久々のバンコクもよかった…。

そして今週は、高齢化に関する地域会議に出た後、中部のダナンへエイズとセックスワークに関する国会議員対象のセミナーでプレゼンテーションをするために2泊3日で行ってきます。同じ内容のセミナーが来週はホーチミン市でもあるので、それにも行く予定…。そして月末にはもしかするとまたダナンへの出張が入る可能性もあります。

そんな中、ここで報告するのを忘れていたかもしれませんが、5月に受けた所長になるための試験は合格したので(7月に通知が来ました)次のポストもそろそろ考え始めています。といっても、別に選べる訳でもないので、そろそろ所長のポストが空きそうで、ここだったら考えられるか?という国のリストを作るくらい。今現在ではこのリストは超短いです…。なにしろジュリも中学生なので、あまりに学校がちゃんとしてない国には行きたくないし、今の状況で家族と一緒に行けない国(アフガニスタンとか)には行きたくないし、かなり選択肢は限られてしまいます。試験に受かっていても、応募して、複数の候補者の中から選ばれないといけないので、まだこれから時間がかかりそうです。

とりあえずは、ベトナム暮らしを楽しみます。ハノイの道端シリーズも再開できるよう…。