シンガポールの歴史2019/04/19 19:59

さて、日本ではあまり知られていないかもしれませんが、スリランカではよく、「スリランカはシンガポールになれたはずなのに」というコメントをよく聞きます。同じ多民族の島国で、地政学的に戦略的な位置にあり、旧イギリス植民地という共通の歴史もあるからかもしれません。しかし、26年の内戦を経て、残念なことですが、今ではシンガポールとスリランカではまさに発展に雲泥の差があります。シンガポールに25年ぶりに来てみて、ほぼ東京と変わらないシンガポールの様子を目の当たりにし、私はまるでスリランカ人になった気分でスリランカの状況を振り返り、正直、かなり失望した気持ちになってしまいました。

今回の休暇では、博物館などでシンガポールの歴史に触れる機会が多くあったのですが(今日行った国立博物館では、日本の占領時代のことがものすごく悲惨に展示されていて、一方イギリスの植民地時代は悲しい時代ではなかったような展示で、びっくりしました)どこでどう間違って、スリランカはこうなっちゃったんだろう、と考えました。そんな中で、今まで知らなかった「シンガポールの国民の誓い」という国家のモットーのようなものがあるのを知りました。これはシンガポールの独立の翌年、閣議決定したものだそうです。引用します。

「われわれシンガポール国民は われわれ自身に誓う 一つの団結した民として 人種や言語、宗教に寄らず 民主的な社会を築くことを 正義と平等に基づいて 我々の国の幸福、繁栄、発展を成し遂げるために」

まさに多民族国家ならではの誓い、という感じですよね。この精神で一致団結できたからこそ、シンガポールの発展があったのでは?と思わされました。もちろん、その中でいろいろと紆余曲折はあったのでしょうが。

さらに悲しいよなあ、と思ってしまうのは、このシンガポールの誓いの草案者が、なんとイギリス植民地時代のスリランカ(セイロン)で生まれたS.ラジャラトナムという人だったんですね。彼は1980年から1985年まで、副首相でもありました。スリランカ人にはこういう風にものすごく知的でできる人も沢山いるのですが、こういう人はほとんど国の外で活躍してます。

これも今回来るまで気がつかなかったのですが、シンガポールの公用語は、英語・中国語・マレー語・タミル語です。インド系言語がヒンズー語でなくてタミル語というのは、インドのタミル・ナドゥ州やスリランカ北部から連れて来られた人々の祖先が多いということでしょうか。この4ヶ国語表記というのは相当徹底していて、それもすごい、と思いました。国の持つ多様性を、強みとして引き出していく、その姿勢には日本を含め、各国が学ぶところがあるような気がします。

25年ぶりのシンガポール2019/04/15 21:32

先週の土曜から、シンハラ・タミルの新年とイースター休みを合わせて、1週間シンガポールに遊びにきています。ピーターとジュリはハノイに住んでいた3年半ほど前、休暇で来ていて、ピーターは去年のフルマラソン参加のためにも来ていたのですが、私はなんと大学時代以来、25年ぶり!何も覚えていないので、新しい街に来たのと同じ気分で到着しました。

まあ、予想はしていたことですが、この国、ほんとすごいです。日本の次ぐらいに何もかもがモダンで、きれいで、きちんとしてる。東京とほとんど変わらない感じで、しかも人種はNYのようにいろいろいるので、とっても居心地がいい!クアラルンプールと比べても、こっちの方が垢抜けしてる感じですね。感動しました。

今回の旅行の一番の目的はずばり、美味しいものを食べること。特にシンガポールには、ホーカーセンターと呼ばれる、屋台村みたいなフードコートが沢山あるのです。そして一つ一つのホーカーセンターには、100件以上ぐらいのありとあらゆる食べ物の屋台があって、しかも安い!1食3−4シンガポールドルなので、300円前後ですか。しかも私の大好きな麺類が充実していて、私はホーカーセンターだけで食事でもいいぐらいです。エアコンないとこが多いし、あまり綺麗に片付けてくれてない場合もあるので、ジュリはあんまりお気に入りではないみたいですが。。。これまで、ラクサ(マレーシアでも有名なココナツベースのヌードルスープ)、ワンタン・ミー(これは汁なしでタレがかかり、チャーシュー麺ののった麺に、ワンタンスープが付く)、ヨン・タウ・フー(魚のすり身団子や揚げ豆腐の入ったヌードルスープ)、餃子スープ(餃子の入ったヌードルスープ)と食べましたが、どれも美味しかったですー。あと、マレーシアでお気に入りだった、チェンドルというかき氷は毎日のように食べてます。

しかし食べてばかりでは、太る!ということで、今朝はピーターと一緒にシンガポールの観光名所をぐるっと廻る5キロルートを走ってきました。5キロ走るのは久々だったし、朝7時でも何しろ暑いのでかなりしんどかったですが、気持ちよかったです!写真はその時のものです。

謹賀新年2018/01/13 00:31

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

2018年のお正月。私たちは例年通り、日本に帰っていました。今年は例年より寒かった!でもいつもの日本の冬の青空、日本食、家族や友達と過ごす時間を満喫しました。今回はコロンボから初めての一時帰国だったのですが、気候の違いがかなりきつく感じられました。ハノイから帰っていた時は、ハノイも一応冬で寒かったからでしょうか。特に空気の乾燥が辛かったです。

元旦は多摩川を散歩。ピーターはラン、私とジュリは川沿いを歩きましたが、本当に気持ち良かったです。平和な日本を感じました。(北朝鮮や地震の脅威はありますが…。)

4日からは1泊2日で再び草津温泉に行き、温泉と雪景色を堪能してきました〜。やっぱ日本の冬は温泉!草津はお客さんも多く、賑わってました。寒すぎて前回3年前に来た時ほどは歩き回りませんでしたけど。

さて私にとってはスリランカ2年目(ピーターとジュリはまだ考えてみたら6ヶ月目なのでした)どんな1年となるでしょうか。幸い、1月にはスリランカ事務所にやーっと私の右腕となる人がやってきたのでほっとしています。これで彼女にどんどん仕事を任せて、今年は少し手を抜きたいですね。去年は200%出し切って頑張った感じだったので…。

オンラインで見つけた占いがとっても面白かったのでここにコピペします。

2017年までのあなたのキャッチフレーズを一言で言うと、「迷い、躊躇し、そしてやってみた」になります。そして、この2018年のあなたのキャッチフレーズは、「なんでもかかってこい」になります。

なんでもかかってこい。この勢いで今年も頑張りたいと思います!(全然手、抜けそうにない…)

写真は年末に鎌倉に行った時のもの。鎌倉、何十年ぶりかに行きましたが、すっごくおしゃれになっててびっくりでした!

初のジャフナ出張2017/08/19 08:36

今週は初めて、スリランカ北部のジャフナへ行ってきました。ジャフナまで来るともうインドはすぐそこ、という感じです。文化的にもジャフナはタミル人がほとんど。シンハラ人が大部分の南部とはだいぶ雰囲気が違います。

ちょうどジャフナでは一番大きなヒンズー教のお寺で1年に1度のお祭りをやっている時期だったので行ってきました(写真)。日本でいうお神輿みたいなのを担ぐ儀式があり、沢山の人がお参りに来ていました。ヒンズー教ってあまりちゃんと勉強したことがないのですが、なんかとても不思議で興味深いです。お寺の中にも入ってみましたが、中は男性は上半身裸でないといけないというので、汗だくの男性陣がひしめく混雑した状況で、ちょっときつかったです…。

一番インパクトがあったのはジャフナ大学での学生との交流でした…。前から北部は国連に対するイメージが悪い(内戦の時に国連は何もしなかったと思ってる人が多い)とは聞いていましたが、ここまでとは!国連の役割についてのものすごい誤解に基づいた超ネガティブな意見ばかりが出てきました。なぜ国連はアメリカ政府とばかり協力するのか、とか(っていうかトランプ政権は国連への拠出金大幅カットしてるんですが)国連は世界中で起こっている人権侵害に対して何もしていない、とか。私たちから言わせたら、国連って私たち国連職員でなくて、加盟国のこと。安全保障理事会が何も決断を出せず紛争の解決ができないのを、国連職員のせいにされても…。生徒たちとの交流から、これまで何度も聞いていた「スリランカはまだまだ紛争『後』と言える状況にはなっていない」というのが納得できました。学生のうちの一人が、「和解には何が必要だと思いますか?正義・真実・許し…」と全員に聞いたのですが、「許し」が必要だという意見に手を挙げた生徒は1人しかいませんでした…。

ジャフナの外で今回行けなかった地域にもまたぜひ行ってみたいです。勉強になった、実りある出張でした。

人道援助現場その22017/07/30 12:21

前述のように、先日、今度は土砂崩れの被害を受けた地域へ行ってきました。ラトナプーラと呼ばれる、スリランカのだいぶ内陸に入っていった場所で、高速道路はないのでウネウネと曲がりくねった道を4時間近く行った所でした。

中国製のテントが20件ぐらい並ぶ、学校の敷地内にある避難所に到着。こういう避難所は全国にもう7つぐらいしか残っていないそうです。この敷地内に、私の事務所が海外から取り寄せた巨大なテントが建っています。これは「ウィメンズ・フレンドリー・スペース」という女性が安全に集まって、いろいろなサービスを受けられる場所を提供するという目的でつくられました。私たちが訪れた日はNGOによって、無料のカウンセリングが行われていて、土砂崩れ以来、不安でよく眠れないといった悩みを持った子供たち等が沢山来ていました。ここで、前述のディグニティー・キットの配布なども行われる予定です。ここで暮らしている人たちと話をしたところ、とにかく1日も早くここから出て、普通の暮らしがしたい、という声が多かったですが、その見通しもたっていない人がほとんどでした。土砂崩れが起こった直後には、軍の救援隊もすぐには来られなかったため、住人が自分たちで救出活動をしないとならず、断片になった肢体をを引っ張り出した、というお年寄りもいました…。

避難所から少し行ったところに、土砂崩れの被害が見られる場所があるというので行ってみましたが、壮絶でした。私は今まで、土砂崩れというと、文字通り土や砂が落ちてくるのだろうと思っていたのですが、写真で見られるように、巨大な石がゴロゴロ落ちてきたのがわかりました。こんなものが落ちてきたら、もちろん人は死ぬし、家も壊滅状態でしょう。写真にある家の中にも入りましたが、大量の土砂が床と思われる場所から1メートルぐらいは溜まっている感じで、とてもじゃないけどもう住めなそうでした。

こうやって現場を訪れて、被災者の人々の話を聞くと、これからどういう支援をしていったらいいのか、いろいろと勉強になりました。

初めての人道援助2017/07/23 16:17

昨日の土曜日は、私にとっては初めての人道援助のための出張に行ってきました。5月下旬にあった洪水・土砂崩れの対応で、私たちのオフィスも妊産婦に対する支援等をやっているのですが、今回初めて、私も支援の現場を訪れる機会がありました。行ったのはスリランカ南部、マタラという町の近く。主に洪水の被害があった所で、避難所のようなものはもうなく、人々は皆もう自分の家に帰っていますが、それでもまだ不便な暮らしを強いられている人もいるということで、行ってきました。

朝6時半初でコロンボを出て、約3時間かかって現地に着くと、もう200人近くの人がお寺の講堂に集まっていました。ドクターやナースが2・3人いて、無料の診察をしています。私たちはここで、ディグニティー・キット(写真)と言われる、中にタオルや下着、石鹸や生理用品等が入ったバケツを配布しました。スリランカならではなのは、サリーを着る時に使う安全ピンが沢山入っていることでしょうか。

加えて、マタニティー・キットという、これは妊婦さんのためのキット(赤ちゃん用の服や、出産後に必要なものが入っている)も配り、妊婦さんと話をすることもできました。妊婦さんたちは皆、妊娠は計画したもので、お産は病院で、と言っていました。

今度は土砂崩れのあった地域でにも行ってみる予定です。

近況。2017/07/20 19:59

またまた超久々の更新となりました。洪水対応だなんだとバタバタしているうちに、私の夏休みの時期となり、ドイツへ行ってきました。ピーターとジュリは6月半ばに学校が終わってから、荷物を全部送り出し、同じくドイツに向かったので、ドイツで合流という訳です。私の3週間の夏休みはなんだかあっという間に終わってしまいました。その間、特に予定していなかったのですが、ピーターと話していて、やっぱり夏山に行きたいね、ということになり、突如思い立ってドイツ南部の山の中、オーストリアのザルツブルグに近いインツェルという町へ行ってきました。そこからいろいろな山に行ってきたのですが、やっぱり山に来ると魂の洗濯!という気がしました。

ドイツから戻ってきた翌々日からは、2泊3日のモルジブ出張。この週はちょうど世界人口記念日(7月11日)だったので、いろいろとイベントがあり忙しくて大変でした。イベントのことと私のスリランカ初論評が新聞にも載りました〜。

そしてやっと今週になって少し落ち着いてきた感じなのですが、この間、私たちの荷物が入ったコンテナがコロンボ港に着いたという知らせがあり、多分来週には家に荷物が運び込まれることになりそうです。そして30日日曜日にはピーターとジュリの到着。私が2月に着任してから、5ヶ月以上に及んでいる単身赴任生活がやっと終わります。やっぱり家族がいないと仕事ばかりになりがちで、しかも空っぽの家で不便な暮らしが続き、精神的に落ち込んできていたので、やっと普段の暮らしといえるものを確立し始めることができるのは本当に待ち遠しいです。

モルジブ出張・おまけ2017/05/28 13:56

仕事がら相当いろんな国にこれまで行きましたが、行くたびに面白いなあと思うのは、各国の通貨です。モルジブのお金はとっても綺麗。首都マレにあるビルにかかっているこのパネル、いろいろな種類の紙幣が見られるので、気に入っていつも見ています。私はぜひマンタレイとウミガメのついている1000ルフィア札を手に入れたい!と思っているのですが、ローカルスタッフに聞くと誰もまだ見たことがないということです…。

ちなみにスリランカのお金もなかなか素敵なデザインで、すべての紙幣に鳥の絵がついてます。この国、野鳥でも有名なんです。ホーチミンおじさんの絵が全ての紙幣についていたベトナムとは対照的です。

モルジブ出張2017/05/25 21:09

先週から2度目のモルジブ出張に行っていました。今回は長めの1週間。外務大臣に挨拶に行ったり、人口推計に関するミーティングに出たりした後、メインのワークショップがあるバー諸島へ飛行機で行きました。

バー諸島(BarでなくてBaa)は首都マレから飛行機で30分ほど北に行ったところにあります。ここはマンタレイと一緒に泳げるというので有名なのですが、この時期モルジブは雨季。着いた日と去った日以外はほとんど雨で、残念ながらあんまりビーチを楽しめるという感じではなかったです。まあ仕事で来てるのでいいですけど、観光客はかわいそうでした。

それでも最終日、晴れて穏やかな海だったので、シュノーケリングへ行ってきました。朝7時から潜って、最後の方で遭遇したのがこのウミガメ!小さなカメでしたが超感動しました。ウミガメの泳ぎ方って、なんだか荘厳な感じがあり、大好きです。ダイビングガイドのお兄さんによれば、このカメは3歳ぐらいということです。これに味をしめて(?)お昼休みにも潜りました。この時はカメには会えませんでしたが、魚はいろいろな種類を沢山見られました。

シュノーケリングがあまりに楽しかったので、ジュリとピーターがコロンボに来たら、ぜひダイビングもまた再開したい!と思いました。もう10年以上やってないので、リフレッシャーコースを取らないといけないですが。

肝心のミーティングは、特に国連が今力を入れている新しい開発目標のSustainable Development Goalsに関する議論が面白かったです。いろいろな国からモルジブをカバーしている国連諸機関の所長が一同に会する貴重な機会でした。

シギリアへの旅その3:シギリアロック2017/05/13 18:35

そして2日目、ついにシギリアロックに登ってきました。朝7時半からのオープンに合わせて行き、約40分ぐらいでわりとすんなりと頂上へ。ほとんどが階段なので楽でした。上からの眺め(写真)はまさに王様の眺め!という感じ。ここももちろん世界遺産です。5世紀にシンハラ王朝のカッサパ1世という王様によって作られたそうです。今でこそ鉄で作られた階段がこの岩の周りにあって登りやすいですが、当時、岩をよじのぼって上に王宮をつくるというのは並大抵のことではなかったことと想像できます。

上からの眺めを堪能してから降りてくると、登ろうとしている人のものすごい列が!しかも全く動いているように見えません。こんな状況だったら、私だったら絶対諦めて帰るなあ、というぐらいのひどさでした。シギリアに行くなら朝1番!チケット売り場に「人が多すぎて、登らないことにしても払い戻ししません」と書いてあっただけのことはあります。

帰り道は、なんとインドのモディ首相がコロンボに到着した時間と重なってしまったため、高速道路が閉鎖されていて、しばらくものすごい渋滞に巻き込まれましたが、なんとか無事帰り着きました。2日間と短いながらも大満足の旅でした!