雇用について2019/08/25 11:29

近年(といってもだいぶ前からですが)日本では雇用形態の多様化が進んでいて、終身雇用制が過去のものとなったのは、よく知られているところです。多くの女性が社会保障のないパートだったり、これはこれでいろいろ問題があり、さらに最近は移民労働者(っていいます?)の課題もあり、職に関する話題はつきません。

一方のスリランカ。ここでの職に関する意識というのは、驚くべきものがあります。なのでちょっと書いておこうと思いました。

まず圧倒的多数の人、特に若者が、いわゆるパブリックセクター、公務員を目指します。たとえ私企業でお給料がずっといい仕事があっても、公務員がよい。安定してるし、社会的ステイタスも高い。そしてひどいのが、昔は(今も?)政治家が票稼ぎのために、公務員のポストを必要かどうかも考えずに分け与えていたので、多くの若者は仕事というのは、就職活動をして競争を勝ち抜かなくても、与えられるものであると思い込んでいるようであることです。つまり、職は与えてもらって当然、という意識。なのでよく、スリランカでは仕事がないことを理由にした若者のストライキがあります。きっと仕事が全くないのではなくて、彼らが欲するような仕事はない、又は彼らのスキルレベルでできる仕事はないということだと思うのですが。。。

こういう文化が根底にあると、大変なのがリクルートメント。これまでも苦労はしてきましたが、この前信じられないことがありました。私たちのオフィスで、今採用過程のかなりシニアなポストがあるのですが、これに応募してきた人のうちの一人が、私に脅迫ともとれるようなメールを送ってきたのです。曰く、自分はこれまで14年も関連分野で働いてきて、いい仕事をしてきたのに、筆記試験にも呼んでもらえないのは、おかしいと。これも問題の一つですが、この国でリクルートメントをしていると、情報が漏れないことはありません。すでに筆記試験が終わっているということをなぜこの人が知っているのか?この情報漏洩のおかげで、もっとひどいことになったことも過去にはあります。なので、今後は筆記試験や面接に呼んだ人には、呼ばれたということを誰にも言わないように、とお願いすることにしました。まあ、それでもしゃべる人はしゃべってしまうと思いますが。

私からしたら、これまで関連分野の同じ仕事で14年働いてきたからといって、もっとよい仕事に考慮してもらう可能性が自動的にあると思うのは、大きな間違い、驕りだと思います。国連は(きっと他もそうでしょうが)そんな甘い世界ではありません。自分がキャリアアップできずに、14年間同じ仕事をしているのを人のせいにする、しかも国連機関の所長に対して脅迫めいたメールで要求してくるというのは、呆れるというか、なんというか。

この国では、長く働けば成果を上げたかどうかに関わらず、昇進の機会があるべき、という年功序列の考え方がまだまだ強い、と言えると思います。これまでも、そういう文化なんだな、と思ってしまう残念なことがいくつもあったのですが、この事件には相当びっくりしました。最近の調査によると、スリランカの若者が仕事につけない理由のトップ3は、ネガティブな態度、コミュニケーション・スキルの欠如、英語力のなさ、だそうです。このネガティブな態度をどうにかしないといけないと思うのですが、それにはきっと根本的な教育制度の改革が必要なのだろう、と思います。

ジュリウスの誕生日2019/08/24 13:14

今月6日はジュリの15歳の誕生日でした!15歳ってなんかすごい。もういよいよ「子供」ではなくなる感じ。。。

ジュリはハンバーガー大好きなのですが、コロンボですごく美味しいハンバーガーってあまりないんです。その中でも、彼が1番というのがシャングリラホテルの中にあるレストランのハンバーガー。もちろんお値段もいいですが、ここは雰囲気もすごくよく、去年私の誕生日でも行きました。でも実はここは、4月のテロの標的にされたので、4つぐらいあったレストランのうち、今は2つしか営業していません。私たちもテロ以来なんとなく行っていなかったのですが、今回は行ってみることにしました。

もちろん、セキュリティーはものすごく厳しくなっていましたが、お客さんが激減した影響か、スタッフがいつも以上にものすごく親切。感動しました。サービスも100点満点。お料理もいつも通り美味しかったです。(あまりによい経験だったので、2週間後のピーターの誕生日もここでお祝いしました。)

15歳といえばかなり難しい年頃。最近は機嫌の悪いことも多く、学校のこともあまり話してくれませんが、でも彼なりに成長しているのをみると、やはり感慨深いです。来年のお誕生日はどこで祝うことになるでしょうか!

UNFPA50周年記念2019/08/24 12:43

またまた超久しぶりのブログ。実はもっと前に書こうとしたのですが、アサブロのシステムがダウンしていたようで、何もアップできなかったという事情もあります。

この間、もちろんいろいろなことがあったのですが(特に仕事では信じられないようなことが起こり続けます)今日は7月の世界人口記念日を前に、国連人口基金の50周年記念イベントを開催した時のことをご紹介。このイベント、うちの事務所としてはテロ以来初めての大規模イベントだったので、セキュリティーを始めいろいろと心配しながら準備したのですが、大盛況でした。

チーフゲストには、いろいろ悩んだあげく、政治家だと変に解釈される可能性が大きいし、ということで、フェミニストとして有名な大学教授である総理大臣の奥様をお呼びしました。彼女はかなり大胆な、且つデータに裏付けされた素晴らしいスピーチをして下さいました。写真で私が手渡しているのが、この日に向けてつくった本で、スリランカの過去半世紀にわたる「性と生殖に関する健康」に関わる成果と挑戦を、様々な人々の視点から紹介しています。自分でいうのもなんですが、かなり素晴らしいものに仕上がったと思います。これももちろん毎日頑張るスタッフのおかげ。

大事な記念日ということで、私はまたサリーを新調しましたー。オレンジは国連人口基金のロゴの色なので、他にもオレンジのサリーは持ってますが、これは大好きなバティックのパターンで気に入ったので。今回も自分で着付けましたよー。

イースター・サンデー・アタック2019/05/05 10:07

250人以上もの人が殺された、あの忌まわしいテロから今日でちょうど2週間。私たち家族はちょうど前日にシンガポールでの休暇から戻ってきて、のんびりとスーツケースに入っていた物を出したり、洗濯をしたりしていました。ピーターが「教会で爆破があったって、聞いた?」と言ってきたのが午前10時頃。そこから次々と爆破のニュースが入り、すぐ職場のスタッフの安否確認に入りました。幸い(?)去年の無政府状態の時にも安否確認はやっていたので、わりとすぐ全スタッフの無事は確認できましたが、一番最後まで連絡が取れなかったのが私のドライバーでキリスト教徒の男性。巻き込まれてたらどうしよう、と焦りましたが、別の教会のミサに出席していたとのことでした。それからの2週間は、ほぼ2・3日起きのセキュリティーに関する国連機関所長会議、本部や地域事務所との連絡、スタッフへの対応など、目まぐるしい日々でした。朝起きる度に、あんなことが本当に起こったのだろうか、悪い夢だったのでは?という感覚があり、職場には行けないので、日にちや曜日の感覚がなくなり、ルーティーンの大切さを改めて思う日々でした。ジュリも2週間学校に行けず、相当退屈しています。

スリランカが一般的にはテロの標的だとは思われていなかったこともあり、今回のことにはまだ誰もが「なぜ?」という気持ちで、何が起こったのか消化している段階だと思います。一方で、メディアでも伝えられている通り、大統領を始め、政府高官にテロの可能性があるという情報が随分前から、何度も伝えられていたのは事実であり、そういう意味では「起こるべくして起こった」というよりは「避けられた」テロだったと言えるでしょう。そんな回避可能の事態で250人以上の人が命を落とさねばならなかった、という状況には、まさに言葉を失います。

そんな中、私がすごく大事だと思うのは、この悲劇をスリランカにとってのターニングポイントとすることだと思います。ただ単に、悲劇を悲劇として乗り越えるのではなく、なぜこういうことが起こったのか、誰の責任だったのかを、責任のなすり合いで終わることなく、しっかりと検証する必要があると思います。今回のことについてメディアで発言しているスリランカ人も言っていることですが、責任は程度の差こそあれ、すべての人にあったはずです。こういう過激派があそこまでよくコーディネートされた大規模テロを実行することができた背景には、過激派の行動を容認する環境があったわけで、それにはスリランカの全国民、全住民が何らかの形で関わっていたと言えるはず。「私には関係無い」と言える人はいないはずです。

こういう考え方は、NYで9/11を経験した後や、福島原発事故の後にも私が主張していたことです。特に日本人の逆境から立ち直る力はすごいものがあると思います。でも、福島原発事故は自然災害ではありません。人災です。だからこそ、誰の責任だったのか、なぜあんなことが起こったのか、なぜ私たち国民は、あんな地震大国にものすごい数の原子力発電所がつくられるのを許してしまっていたのか、そういうことを考え、行動を改めないといけなかったと思います。残念ながら、あの3/11が日本でそういう機会になったとは思えませんが。

話をスリランカに戻します。全ての人に責任がある一方で、一番の責任者がいるのも事実です。そしてその一番の責任者が、一番責任逃れをしているのも、報道されている通りです。こういう状況は、この先のスリランカの政治、特に年末に控えた大統領選に影響があるのは必至です。当然のことながら、国民の中には、とにかく安定を望む声が大きくなっています。内戦が終わってからの10年間、人権や平和にあまりに焦点を当てすぎ、安全保障をないがしろにしてきたから、今回のテロは(国連を含め)人権擁護に注力してきた団体や人々のせいで起こった、とまでいう人々もいます。ここでスリランカは独裁者による警察国家を望むのか、それとも過去10年間、なんとか一生懸命育ててきた人権・平和・民族統合の種を育む政治を望むのか。まさに帰路に立つスリランカ、国連としてどうサポートしていけるのか、考えていきたいと思っています。

シンガポールの歴史2019/04/19 19:59

さて、日本ではあまり知られていないかもしれませんが、スリランカではよく、「スリランカはシンガポールになれたはずなのに」というコメントをよく聞きます。同じ多民族の島国で、地政学的に戦略的な位置にあり、旧イギリス植民地という共通の歴史もあるからかもしれません。しかし、26年の内戦を経て、残念なことですが、今ではシンガポールとスリランカではまさに発展に雲泥の差があります。シンガポールに25年ぶりに来てみて、ほぼ東京と変わらないシンガポールの様子を目の当たりにし、私はまるでスリランカ人になった気分でスリランカの状況を振り返り、正直、かなり失望した気持ちになってしまいました。

今回の休暇では、博物館などでシンガポールの歴史に触れる機会が多くあったのですが(今日行った国立博物館では、日本の占領時代のことがものすごく悲惨に展示されていて、一方イギリスの植民地時代は悲しい時代ではなかったような展示で、びっくりしました)どこでどう間違って、スリランカはこうなっちゃったんだろう、と考えました。そんな中で、今まで知らなかった「シンガポールの国民の誓い」という国家のモットーのようなものがあるのを知りました。これはシンガポールの独立の翌年、閣議決定したものだそうです。引用します。

「われわれシンガポール国民は われわれ自身に誓う 一つの団結した民として 人種や言語、宗教に寄らず 民主的な社会を築くことを 正義と平等に基づいて 我々の国の幸福、繁栄、発展を成し遂げるために」

まさに多民族国家ならではの誓い、という感じですよね。この精神で一致団結できたからこそ、シンガポールの発展があったのでは?と思わされました。もちろん、その中でいろいろと紆余曲折はあったのでしょうが。

さらに悲しいよなあ、と思ってしまうのは、このシンガポールの誓いの草案者が、なんとイギリス植民地時代のスリランカ(セイロン)で生まれたS.ラジャラトナムという人だったんですね。彼は1980年から1985年まで、副首相でもありました。スリランカ人にはこういう風にものすごく知的でできる人も沢山いるのですが、こういう人はほとんど国の外で活躍してます。

これも今回来るまで気がつかなかったのですが、シンガポールの公用語は、英語・中国語・マレー語・タミル語です。インド系言語がヒンズー語でなくてタミル語というのは、インドのタミル・ナドゥ州やスリランカ北部から連れて来られた人々の祖先が多いということでしょうか。この4ヶ国語表記というのは相当徹底していて、それもすごい、と思いました。国の持つ多様性を、強みとして引き出していく、その姿勢には日本を含め、各国が学ぶところがあるような気がします。

25年ぶりのシンガポール2019/04/15 21:32

先週の土曜から、シンハラ・タミルの新年とイースター休みを合わせて、1週間シンガポールに遊びにきています。ピーターとジュリはハノイに住んでいた3年半ほど前、休暇で来ていて、ピーターは去年のフルマラソン参加のためにも来ていたのですが、私はなんと大学時代以来、25年ぶり!何も覚えていないので、新しい街に来たのと同じ気分で到着しました。

まあ、予想はしていたことですが、この国、ほんとすごいです。日本の次ぐらいに何もかもがモダンで、きれいで、きちんとしてる。東京とほとんど変わらない感じで、しかも人種はNYのようにいろいろいるので、とっても居心地がいい!クアラルンプールと比べても、こっちの方が垢抜けしてる感じですね。感動しました。

今回の旅行の一番の目的はずばり、美味しいものを食べること。特にシンガポールには、ホーカーセンターと呼ばれる、屋台村みたいなフードコートが沢山あるのです。そして一つ一つのホーカーセンターには、100件以上ぐらいのありとあらゆる食べ物の屋台があって、しかも安い!1食3−4シンガポールドルなので、300円前後ですか。しかも私の大好きな麺類が充実していて、私はホーカーセンターだけで食事でもいいぐらいです。エアコンないとこが多いし、あまり綺麗に片付けてくれてない場合もあるので、ジュリはあんまりお気に入りではないみたいですが。。。これまで、ラクサ(マレーシアでも有名なココナツベースのヌードルスープ)、ワンタン・ミー(これは汁なしでタレがかかり、チャーシュー麺ののった麺に、ワンタンスープが付く)、ヨン・タウ・フー(魚のすり身団子や揚げ豆腐の入ったヌードルスープ)、餃子スープ(餃子の入ったヌードルスープ)と食べましたが、どれも美味しかったですー。あと、マレーシアでお気に入りだった、チェンドルというかき氷は毎日のように食べてます。

しかし食べてばかりでは、太る!ということで、今朝はピーターと一緒にシンガポールの観光名所をぐるっと廻る5キロルートを走ってきました。5キロ走るのは久々だったし、朝7時でも何しろ暑いのでかなりしんどかったですが、気持ちよかったです!写真はその時のものです。

リーダーシップ持論:その32019/03/23 09:14

業績評価に関しても、リーダーシップ論と同じぐらい様々な考え方がありますが、国連人口基金では、1年に3回、公式な業績評価に関わる機会があります。年の初めには、1年間の計画をし、8月頃には中間評価、そして年末には1年の総合評価。それぞれ、自分の上司と話し合って、オンラインのシステムに情報を入れていきます。加えて、上司以外からのフィードバックをもらうのも義務になっており、1年の始めに、他の国連機関等も含めた同僚の誰にフィードバックをもらうかを決めて、これもシステムに登録します。(部下からの評価は義務化されています。)

私の持論としては、こういう業績評価はないよりもあったほうがいい、と思っています。理想的には、こういうシステムがなくても、日常的にフィードバックを与え合う習慣があることですが、そういうのが文化的又は個人的にできにくい場合も多いでしょう。特にあまりポジティブでないフィードバックというのは、私の経験では、進んでする人はあまりいません。特にスリランカは表と裏を使い分けることがものすごく「普通」な文化なので、面と向かって相手に何か言うというのは、強制的にやらされないとしない人がほとんどだと思います。

上司としての私の原則は、何かフィードバックした方がいいという事件があった時には、できるだけ早く、できることならその場で話をすること。そして、同じことが繰り返されないための対策と、繰り返された場合はどうするか、というのを、オープンに話すこと。人によっては、間違いを繰り返しても、その結果何か自分に悪いことが起こらないのなら、態度を改めないという人もいますので。こういう人を脅すようなやり方は全然好きでなないのですが、スリランカに来てから、場合によっては必要だと思うようになりました。

かなり複雑な、個人の能力だけでなく性格に関わるような場合は、パターンを見据えて、細かな具体例を用意してから、話をするというアプローチを取る時もあります。この人、ちょっと問題だな、と思ったら、あったことを日記のように書き出し始めて、事例集をつくっておきます。これは最終的に、平均以下の業績評価を出す時には、絶対あった方がいいと思います。もちろんその上で、根気よく指導を続けて、改善されることが目標ですが。

これも私の経験では、自分のことが全く客観的に見えていない人というのが、一番やりにくいです。例えば、私から見ると明らかに期待されているレベルに達していないのに、自己評価が異様に高い人。こういう人には、いくら言っても無駄、という感じがしてしまいます。

問題のあるケースばかり書きましたが、もちろん、よくやってる人にはよい評価を与えることはとても大事だと思います。でも私は、半分以上の人にものすごくいい評価を出したりはしません。業績評価を人気取りの道具にして、ほとんどの人にすごくいい評価を出す上司もいるようですが。そんなによい評価の安売りしていたら、よい評価の価値が下がってしまうと思うので。と、また真面目に原則論で貫こうとする私でした。。。

首相官邸でのイベント。2019/03/18 21:27

先週の土曜日は、首相官邸であった国際女性記念日関連のイベント「詩と音楽の夕べ」へ行ってきました。首相の奥様が、女性の権利に関する運動に強い関心を持っていらっしゃって、それもあって私を誘って下さったのですが、30人ぐらいの小さな集まりで、私以外の外交官は、イギリス大使とアメリカ大使だけでした。写真で挨拶をしているのが首相夫人です。

会場は広い首相官邸の一角に隠れるようにある、オープンエアの小さな舞台。蓮の花が咲き乱れる池があり、そこにロウソクを浮かべてあり、雰囲気満点です!

プログラムは、詩の朗読(クラシックな朗読から、劇のようなのまでありました)と音楽(ピアノの伴奏で、合唱やチェロの演奏)が絶妙に織り交ぜてあり、テーマは全て女性。セクハラのような社会的なテーマを扱ったものから、男性器についての斬新(!)なものまで、いろいろでしたが、どれもすごい!と唸ってしまうような上手さで、さすが国内でトップクラスのアーティストを集めただけある、という感じでした。私はチェロの演奏を聴きながら、鳥肌たったぐらいです。こんなプログラムに招待して頂けたのは本当に光栄でした!

スリランカ暮らしは実は苦労がすごく多くて、めげそうになることが多いのですが、こういうプログラムに接すると、この国の可能性を見せて頂いた感じがして、元気をもらった気がします。

リーダーシップ持論:その22019/03/15 22:16

今日はリーダーシップと人材のお話。前回、私はビジョナリーなリーダー像をよしとする考え方に疑問を呈していたので、想像がつくかもしれませんが、私はリーダーというのは先頭を切って皆を引っ張って行く、というよりは、後ろからサポートするような役割であるべきと思っています。リーダーは、個人がそれぞれの才能を開花できるよう支援するべき。そうすれば、マイクロマネージする必要もなく、一定の方向性を示して、必要な時にアドバイスをするだけで、皆努力して、ぐんぐん伸びていくことが多いです。そういう風に、スタッフが成長していくのをサポートするのが、マネージャーとしての醍醐味かもしれません。

そこでものすごく重要になってくるのが、人材の採用です。ここで間違うと「間違って」採ってしまった人を指導するのに異様に時間とエネルギーを浪費するだけでなく、そういう人の悪影響を最小限にとどめるべく、ダメージコントロールにも時間とエネルギーを費やすことになります。しかし当然、「間違った」のかどうかというのは、結構後になるまでわからないこともあります。。。採用試験をすごく上手に通過するのに長けている人っていますので。

じゃあ採用する際に何を大切にすればいいのか。私の個人的な方針ですが、一つは国連の原則とするもの、例えば人権、正義、世界平和などに強い理解と情熱を持っている人。このレベルの信念は、採用してから変えるのは難しいので。例えば、お金が人生で一番大切だと思っている人は、国連に入っても充実感はなく、長続きしない、ということもあるし、もっと悪い場合は、汚職したりする可能性さえあります。もう一つ、私は常に、個人の持つ可能性で採用することにしています。例えば、募集している仕事と全く同じような経験・スキルを持っていて、明日からでも完璧にその仕事をこなせそうな人よりは、努力して、足りないところを補って、そのポストで1人前になるように頑張ってもらう必要がある人の方が、うまくいくことが多いと思っています。その「頑張る」エネルギーというのが、組織全体にとってもいい影響があるというのもあります。皆が切磋琢磨して、成長していくような職場にしたいですから。それと、私もこれまで随分、業績というよりは可能性で採用して頂いたなあ、という気持ちもあります。(笑)

もっと細かく具体的にどのようなスキルを重視するか、という点ですが、私が特に重視するのは、判断力。様々な場面で、的確な判断ができる能力というのはすごく重要だと思います。的確な判断をするためには、経験だけでなく、相手の立場になって物事を考えられることや、今からしようとすることに関して、長い目でみてどういう影響があるかを戦略的に思い描くこと等、いろいろなスキルが必要になります。そして私の経験では、判断力を育てるのは難しいです。どうしようもなく常識がなく、「なんで?」と思うような判断しかできない人が、その欠点を克服するのはかなり難しい。そういう人を育てるのも難しい。というのも、そういう人は自分のことがわかっていない場合がほとんどなので。。。でも、この判断力を採用試験で見極めるのも簡単ではないように思います。

実際に採用試験のプロセスでは、私はレファレンス(日本語では何でしょう。推薦?)を非常に重視します。書類として提出してもらうだけでなく、私は直属の上司だった人に、電話で連絡するようにしています。紙として残ると、批判的なことは書かない人が多いですが、電話だと細かなニュアンスもわかることが多いので。かなり下のレベルのポストでも、いちいち時間をかけてレファレンスチェックする価値はあると思っています。筆記試験と面接でわかることには限界がありますから。

そんなこんなで、人材の採用と、優秀な人材にとどまってもらうようにすることの2つには、大変な時間を取られてます。でも、できる人を採り続けることができれば、リーダーとしての仕事は40%ぐらい終わったようなものです。前述したように、そういう人は、自分で自分の目標を設定して、ぐんぐん伸びていきますので。あとは、彼らが飽きないように、新しい課題を与え、挑戦を楽しめるような環境をつくること。それでも、すごく優秀な人はいづれは次のステップへ移っていきますので、その時、交代できるだけの人材の層をつくっておく。言うは易しですが、これを全部きちんとやるのは、相当大変です!

次回は、業績評価について。

リーダーシップ持論:その12019/03/10 08:15

トリノで働いていた時、リーダーシップトレーニングコースのコーディネートも一時期やっていた私。管理職となってからもうすぐ8年、自分なりにリーダーシップについての考え方も深めてきました。それで、ちょっとシリーズでまとめてみようかな、と思いました。

世界にはものすごい数のリーダーシップ理論がありますし、時代によってトレンドもありますが、一番よく言われることの一つのが「リーダーはビジョナリーであるべき」というものです。リーダーの最も大切な役割は、将来へのビジョンを示すこと、という訳。これが間違っていると言うつもりはありませんが、私はこれが最も重要とも思えないと常々感じてきました。と思ったら、最近のハーバードビジネスレビュー(HBR)にまさにこれ、「なぜビジョナリーなリーダーは失敗するのか」という記事が出てました。

この記事では、ビジョナリーなリーダーを育てるだけでなく「戦略的アラインメント」が重要ということが説明されています。要するに、ビジョナリーなリーダーが好きなことを自分勝手にやるのではなく、組織として1つの方向性を向いてやっていくよう、そこにも同じぐらい投資しないといけない、ということでしょうか。これ、実はすごく大事なことだと思います。特に国連のような巨大組織になると、世界中に散らばった国籍も文化もバラバラな人々が、同じ理念のもとに働かなくてはいけない。そのためには、リーダーが自分なりのビジョンを持った人であるだけでは充分ではなく、組織の理念、ビジョンを体現するようでなければ困ると思うのです。これが可能となるためには、組織としては、その理念やビジョンを体現する人を採用・昇進でも重視するべきだと思います。そこで一貫性がなかったら、どんなにリーダーシップトレーニングをやっても、あまり意味がないと言ってもいいと思います。

こう考えていくと、リーダーに一番ぐらい必要なこと、特に国連のような平和・人権・環境などに関わる仕事をする場所では、私は高い倫理基準だと思っています。自分の日々の仕事でも、倫理基準だけは妥協しない。そこでぶれなければ、あとはついてくる、と言ってもいいぐらい大事だと思います。倫理的に間違ったことはしない、間違ったことをしている人がいたら止めさせる、公正な組織の一員としての行動とイメージに注意する、などは、当たり前のはずでありながら、実は充分な注意が払われていないように思います。こういう考え方、あまりに常識的だからか、同じ意見の人にはあまり会わないのですが、それでもしつこく、私は倫理的なリーダーでありたい、といつも思いつつ仕事をしています。

次回は、リーダーシップを語る際には避けて通れない、人材のお話。