グレート・エチオピアン・ラン@アワサ ― 2012/05/12 03:32
またまた更新が1ヶ月以上遅れてしまいました。前述のように日本語の使えるコンピューターでインターネットに繋げることがなかなかできなかったので…。エチオピアでは、家庭でケーブル接続というのは存在せず、皆、EVDOというペン・ドライブみたいなものをコンピューターに差し込んでインターネットに繋げます。料金は、携帯電話用のようなスクラッチ・カードを買って、電話でコードを入力して払います。これが、ピーク時(夕方や週末)にはものすごく遅いスピードだし、無制限ではないので、下手するとすぐ料金切れになってしまい、またスクラッチ・カードを買わなくてはいけません。同僚に助けてもらって、最近このEVDOを日本語の使えるコンピューターで使えるようになったのですが、最近またEVDOが料金切れになってしまい…。ここに住んでいると、Wifiが無制限に使える国がパラダイスのように思えます…。
前置きが長くなりましたが、私たちは先週末、アワサというアディスから車で5時間ぐらい行ったところで、グレート・エチオピアン・ランに参加してきました。グレート・エチオピアン・ランというのはエチオピアでチャリティー・ランを開催している団体で、毎年11月にアディスであるレースはアフリカ最大だとか。アワサであるのはそれより小規模なのですが、私のヨガの先生が皆で行こう!とバスやホテルを手配してくれたので、行ってきました。
私はアワサには出張で行ったことがあったのですが、ピーターとジュリウスは初めて。土曜日のお昼過ぎにホテルに着いて、ランチを食べて休憩してから、アワサ湖の近くを歩きました。この湖の近くには、コウノトリの一種で、かなり大きな鳥が沢山いました。ジュリと同じぐらいの背丈はあるんじゃないかと思えたぐらい…。夕食は本当はアワサでは有名なイタリアン・レストランに行くつもりだったのですが、ヨガの先生が招待されていたレセプションに一緒に行ったら、これが予定より2時間近く遅れて始まり(ありがち…)とてもではないけど、レストランに行くには遅くなりすぎる感じだったので、そのレセプションのおつまみでよしとすることにしました。このホテルは、世界的に有名なエチオピアのランナー、ハイレ・ゲブレセラシェが建てたホテルで、彼もレセプションに来ていました!かなり背の低い小さな人だったので、びっくり。でも、スピーチには彼の謙虚で優しい人柄が出ていてとてもよかったです。
翌日はいよいよレース。子供レースが7時20分からだったのですが、エチオピアでは常に何事も時間通りに始まらないので(アディスから出発した時も、集合時間は6時半だったのに、出発したのは8時ちょっと前でした。これが当たり前です)今回もそうだろうとたかをくくっていたら、まだ私たちがスタート地点へ向かって歩いている時に、既に女の子たちのレースが始まっていました。私たちがスタート地点に着くちょっと前に男の子たちが出発してしまったので、あわててジュリに追いかけるように言いました。ジュリは一人で遅れて行きたくないというので、ピーターに一緒に2キロ走ってもらいました。レースが終わってしばらくしてからジュリとピーターはホテルに戻り、私は9時半からの7キロレースに向けて、ヨガの先生とクラスメートに合流しました。私が参加したのは「マス・レース」という誰でも参加できて、ゼッケン・ナンバーも何もないレースだったので、出発してもう数分でかなりの人が歩いていました。私はできる限りは走ろうと思って頑張ったのですが、ちょうど湖に沿ったルートになる所でから道がすごく細くなっていて、交通渋滞状態で、止まるしかないことも多く、結局は3分の1ぐらいは歩きました。7キロのうち、半分ぐらいが湖に沿ったルートだったので、眺めがよかったです。こんなルートを毎日自分のペースで走れたらいいなあ、とアディスのすごい大気汚染と比べて、思ってしまいました。
結局7キロを1時間弱で終え、疲れたけれど壮快でした。翌日はすごい筋肉痛でしたけど…。このレースに向けて1ヶ月ぐらい前からジムに通い始めたのですが、1度に走るのは3キロ程度にしていたので(何しろアディスは標高2400メートルですから)突然7キロは、いくら標高がアディスよりは低いアワサでも、きつかった…。でも、全般にはいい経験でした。ピーターはあまり楽しくなかったみたいですが…。写真は2キロレースを走っているジュリウスです。彼が着ているのは大人用のグレート・エチオピアン・ランのTシャツです。子供用は売り切れだったので…。マス・レースに参加する人は皆このTシャツを買わないといけなかったのですが(それが登録料のようになっている)ルートは別にちゃんとずっと囲ってある訳でもなかったので、そこらへんの子供たち等は勝手に途中からレースに参加していました。今年11月の10キロレースに向けて、今から頑張るかな…。うわさによると、アディスのルートはかなりアップ・ダウンが激しくてきついそうです。アワサはほとんどずーっと平らだったんですけど。まだ6ヶ月ぐらいあるので、今から訓練したらいいかもしれません。
ペトラで。 ― 2012/04/03 21:17
ヨルダンに着き、マダバという小さな町で1泊してから、ペトラへやってきました。前回はモーヴェンピックというスイス系ホテルに泊まったのですが、今回はそこが満室だったので、そのすぐ近くの比較的新しいホテルへ泊まっています。昨日ホテルに着いたのは午後3時頃だったので、ホテルでのんびりして、夕食を食べてから夜8時半からの「ペトラ・バイ・ナイト」に参加しました。前回も行きましたが、ろうそくの光の中で見るペトラはまた特別な雰囲気があります。ジュリが夜遅く眠くて歩けなくなるのではないかと心配しましたが、よく歩いてくれたのでほっとしました。
今日は朝からまたペトラの中へ向けて出発。前回はジュリが3歳半だったので、ロバを雇って行った「モネストリー」まで、今回は皆でしっかり歩きました。何度来ても、ここの景色は本当にすごい。スケールが違います。昔は5000頭のラクダのキャラバンが通ったというペトラの中を歩いていると、周りに観光客がいない時は、本当にタイムスリップしたような感覚に陥ります。
夕方の光で「宝物殿」(あのインディアナ・ジョーンズに出てくる岩壁に掘られた建物です。写真で奥に見える建物)のピンクの姿を拝んでから、岐路に着きました。この宝物殿から、ペトラの入り口までは、シークと呼ばれる岩の間の道を通って、30分ぐらい歩きます。さすがに帰り道は足が疲れて辛かったのですが、ジュリはよく歩きました!
ジュリはこの日こそは何かお土産を買うんだ!と張り切っていたのですが、宝物殿の前のお店で売っていた気に入った亀のペンダントは30ディナール以上(42ドルぐらい)するというので、あきらめて、瓶の中にカラフルな砂でラクダの絵が書いてあるものを選びました。これと、マダバのお土産屋さんでもらった笛を学校に持って行って、ヨルダン旅行の話をクラスでするんだ、と意気込んでいます。
明日は、死海へ向けて出発します。ヨルダンへ来る前は、前にも来たことのある国へまた来て、退屈しないかなあ、と思っていたのですが、2回目だといろいろ勝手がわかっていて楽だし、前回かなりいろいろとまわったので、今回はそれほどすべて見たい!と思わずにのんびりできて、期待以上に楽しい旅ができている気がします。ヨルダン料理も堪能しています…。正直、エチオピア料理より断然おいしいので、私は今回の旅ではかなり食べ過ぎている気が…。体重が2キロぐらい増えそうです。
最近のジュリウス&近況報告 ― 2012/04/01 09:18
1ヶ月以上も更新しないまま日々が過ぎてしまいました。未だに家で日本語の使えるマックでインターネットにつなげられないので、日本語でメールやブログをするにはコンピューターを職場かジュリの学校に持って行かないといけないので…。先月はものすごいドラマはありませんでしたが、それでもいろいろありました。
まずはジュリウスが2学期の通知表をもらってきて、先生との面談がありました。通知表は、読む力等、標準よりちょっと遅れている所もあるものの、全般的には順調に学力が伸びているようで、ほっとしました。先生からのメッセージにはジュリは「感受性が強く、考える力のある子供」とありました。先生との面談には、ピーターだけしか行けなかったのですが、特に心配することはないそうで、これもほっとしました。ジュリはよく「友達があまりいない」と言うのですが、先生から見ると、ジュリはクラスメートのほぼ全員と仲良くしているということです。好きな教科は断然「アート」で、この写真の絵が今学期の傑作みたい。クリムトやフンデルトヴァッサーを彷彿とさせる!と思ってしまうのは、やっぱり親ばかですか…。
先月は、社交面でも充実していました。トリノで知り合ったイタリア人女性で、今はIFADというローマが本部の国連機関でコンサルタントとして働いている友達が3月半ばから家に泊まっていたので、アディスに来てから初のハウス・ゲストのいる日々を楽しみました。彼女はフィールド・トリップにも行っていたので、実際に家で泊まったのは5泊ぐらいでしたが、家族の一員のように過ごしてもらって、楽しかったです。同じ時期、私の職場に新しく入ってきたドイツ人男性(ウォッカさんの元部下です)とも仲良くなり、皆で一緒に外食したり、週末に私たちのお気に入りのロッジに行ったりしました。やっぱり気の合う友達が周りに増えると、アディス暮らしのクォリティーも断然違ってきます。
そして昨日の夜、イースター休暇でアディスを発ち、今朝ここヨルダンに着いたところです。アディスからは直行便で4時間弱と、かなり気軽に来られます。ヨルダンに来るのは2回目。前回はちょうど4年前で、主な見所をぐるっとまわりましたが、今回は前回特に気に入った所に絞っての1週間の旅。さて、どんな旅になるでしょうか。
インターナショナル・デー&チャリティー・ラン ― 2012/02/27 08:21
先週の金曜日は、ジュリの学校でインターナショナル・デーのお祭りがありました。なぜこの日なのかは謎ですが(こういうイベントを10月24日の国連記念日にする学校は多いみたいです)とにかく去年からこのお祭りに関する連絡があったぐらいの、一大イベントでした。まず、子供達はそれぞれの国籍のグループに分かれ、旗を持ってパレードをしました。この「それぞれの国籍に分かれ」というのが、国籍が1つではない子供達が多いインターナショナル・スクールでは簡単ではありません。ジュリは、去年どっちにするの?と聞いた時から、「絶対、日本!」だったので、悩まなくてすみましたが。2人子供がいるモルドバ人&ウズベキスタン人の友達カップルは、男の子はモルドバ、女の子はウズベキスタン、と分かれたそうです。ジュリウスは日本に住んだことはないものの、なぜかドイツよりは日本に対する方が愛着(?)があるみたいです。写真にあるように、この前の一時帰国の時、浅草で買った忍者のコスチュームを来て、ご満悦でした。女の子たちの浴衣姿がかわいいですね。
パレードの後は、旗を持つ役だった子供達が1人づつ、それぞれの国の言葉であいさつをしていく、というのがあり、なかなかよかったです。私はここで仕事があるので職場へ向かったのですが、その後はコンサート等があり、最後には親が持ち寄った料理でのインターナショナル・ビュッフェでランチ、というのがありました。そういえばトリノにいる時も、こういう持ち寄りパーティーがありました。ここでは、生徒と親と合わせて800人以上という規模だったので、ピーターによるとかなりの混乱状態だったみたいですが…。料理は地域ごとに分けて並べられていて、ジュリウスはアフリカのコーナーだけ行って、もう戻って来てしまったそうです。1人1回しか料理を取りに行けないというルールだったのに。私だったら速攻、アジア・パシフィックのコーナーに行くだろうなあ…。
この翌日、土曜日はチャリティー・ランというまた別のイベントが学校であったので、行ってきました。3つぐらいの非営利団体への寄付金を集めるという目的で、生徒や親が学校内のトラックを走る(又は歩く)というものでした。3つの団体のうちの一つが、エチオピアで絶滅の危機にさらされている狼の保護のための団体だったのですが、これが狼というよりはどちらかというと狐に近いような、すごいかわいい動物で、ジュリにそのぬいぐるみを買ってー、と言われ、またピーターに怒られる…と思いながらも買ってしまいました。
まずは低学年が走る番だったのですが、さすがに一斉に1つの場所からスタートするには人数が多すぎるので、それぞれゼッケンの色にあわせて、4カ所別の場所からスタートしました。私はジュリと一緒に走り始めましたが、ジュリを含めて子供達は、長く走るということを考えず、短距離走のようなスピードで走るので、ついていくのが大変…。もちろん、皆すぐにスピードを落としていましたが…。2周目に入り、ジュリはすでに「もう疲れたー」と言うので「最低でも5周しようって決めたよね、頑張ろう」と励ましつつ走りました。5周を終わり、もうやめるって言うかと思ったら、他の子供達が頑張っているからか、ジュリは当然のように6周目を走り始め、そのまま10周まで走りました!私はもう10周でやめておいたのですが、ちょうどその時「あと3分!」というアナウンスがあり、子供達がまた全速力で走り始め、ジュリも11周を完走。後から調べたら、このトラックって1周が400メートルだというので、4キロ以上走ったことになります。私は翌日はすごい筋肉痛。トリノにいた時は、朝のジョギングで軽く4キロ走っていたのに、やっぱりずっと走っていなかったのと、この標高(2400メートル)で突然走ったのとで、全身ぼろぼろになってしまいました。しかし、4キロ400メートル走ったジュリはすごい!
エチオピアは、強いマラソン選手が多いためか、こういうチャリティー目的のレースがかなり沢山あります。グレート・エチオピア・ラン、という毎年11月にあるレースは、国連もスポンサーしていますが、アフリカ最大のレースだとか。来月にも、このグレート・エチオピア・ランが主催している、女性のための5キロレースというのがあります。最近、私の職場に格安のジムがあるというのを発見したので、また走ることを習慣にして、こういうレースに出るのを目標にしたらいいかもしれません。
青ナイル峡谷&ポルトガル橋 ― 2012/02/08 16:15
職場のカフェのWifiを使って、まとめてブログの更新をしています…。
先週の日曜日は、日帰りツアーに参加して、青ナイル峡谷&ポルトガル橋を巡る旅へ行ってきました。私はてっきり峡谷を歩き回るようなツアーだと思っていたのですが、実際はバスに乗っていた時間が10時間ぐらいあり、えらい疲れました…。でも、初めて見る場所に行けたのはよかったし、景色は壮観でした。
朝7時にアディスのヒルトン・ホテルで集合して、一路北へ。実は私たちがアディスから北に向かうのはこれが初めて。今まで行ったアディス郊外の町はすべてアディスの南にあったので。アディスを出ると、乾燥しただだっぴろい景色が延々と続きます。「まんが日本昔話」に出て来そうな、とんがり茅葺き屋根で泥壁の家の集落と、牛・ヤギ・羊と畑以外は何にもない景色。トラクターなんてものはもちろんありません。80年ぐらい前の日本の農村ってこんな感じだったのかなー?と思ってしまいました。ガイドさんによると、エチオピアの主食である「テフ」(これでインジェラと呼ばれるパンケーキみたいなものをつくります)は1年に2回収穫があるそうで、今はちょうど雨期の後、収穫が終わった後だそうです。これが一面の緑だったりすると、かなり感動的な景色だろうと思ったので、雨期の直後、10〜11月頃に来てみるといいのかもしれません。
3時間ほど走って、最初の休憩。コーヒーだけの予定だったのですが、お昼まで4時間はあるということで、皆でスクランブルエッグみたいなものとパンを注文して食べました。そこから青ナイル峡谷までが2時間ちょっと。青ナイル峡谷は上から下までをうねうねと30分ぐらい車で下ったのですが、上からの景色は霧がかかったようになっていて、それほどよく見えませんでした。下まで行くと、青ナイル河にイタリア人が占領時代につくったという古い橋と日本が数年前につくったという新しい橋がかかっていたので、車から降りてその付近を散策しました。写真はその日本の政府開発援助でつくった橋のたもとで。実はこの橋以外にも、この日に通った道は日本がつくった部分があり、他にもこのような日本の旗がついた石碑みたいなものを見ました。青ナイル河自体は雨期のため、水量がとても少なかったですが、橋からの眺めはよかったです。
この橋の付近でまた休憩し、また同じ道をうねうねと上がり、アディス方向へ向けて走りました。結局2時に着くはずだったお昼の場所についたのは午後4時。車内でバナナやパンが配られはしたものの、これはちょっとツアー会社の計画ミスだと思うのですが、このお昼の場所はグランドキャニオンのようなすばらしい景色でした。野鳥でも有名な所らしく、すごい望遠鏡を持った本格的なバードウォッチャーたちを見ました。肉眼で見る限りではそれほど鳥は見られませんでしたが。ここから歩いて15分ぐらいの所に、ポルトガル橋と呼ばれる約400年前につくられたという橋があったので、行ってみました。ダチョウの卵の殻も使われて造られた橋ということでした。橋自体はすごいというほどのものでもありませんでしたが、この付近の景色もまた素敵でした。ちなみにこの橋には物売りの人が何人かいて、ジュリは彼らと値段交渉していましたが、この時おこづかいは2ブルしか残っていなかったので、結局交渉成立しなかったみたいです。
午後6時前にアディス着のはずが、家に帰り着いたのは8時すぎ。ジュリは本当によく頑張ったと思います。子供はジュリだけだったので、退屈だったと思うのですが、それほどうるさく文句も言わず、バスでもおりこうにしていました。振り返ってみれば、青ナイル峡谷まで行かなくても、お昼を食べた場所とその付近の見所を歩いてまわるだけでもよかったような気がするのですが、でも「青ナイル」と聞くと、行きたいと思ったのも確か。私は先週も出張で往復8時間ぐらい車に乗ってアワサという湖の近くまで行って来たので、もっと車に乗る時間を減らして、ハイキングするような旅がしたかったです。次回ツアーに参加する時ははそこらへんをチェックしなくては、と思いました。
ナンバープレート取得&最近のジュリウス ― 2012/02/08 16:10
家で日本語の使える自分のマックをインターネットにつなげられないので、またまたブログの更新が遅れてしまいました。
先週の木曜日に、ついに車のナンバープレートが取得できました。コンテナが10月末に着いてから3ヶ月ちょっと。やっと車が使えるようになったので、ほっとしました。早速ドライバーさんを雇って、ジュリと私の送り迎えにタクシーを使わずに済むことになりました。これまでどこに行くにも、またタクシーの値段交渉をしないといけない、と思うと憂鬱だったのですが(メーター・タクシーなんてものはありません)これで行動範囲が広がりそうです。ピーターもバンビスという市内にある外国人用のスーパーに気軽に行けるようになり、お料理しようという意欲も出てくるのではないかと思います。(家の近くのスーパーで手に入る食材は限られているので。)私は週末は運転しようと思っていて、それも楽しみ。しかし、これですべて完了という訳にいかないのがエチオピアで、まだ「タイトル」と呼ばれる書類をもらい、保険会社から車が保険に入っていることを証明するシールをもらったりと、事務作業が残っています。毎日電話して催促しているのですが、どうやらあと1ヶ月ぐらいはかかるらしいです…。
金曜日は、私は国連の休日で仕事がお休みだったのですが、ジュリは学校があり、「説得力のある書き方についての会」というのがあったので、行ってきました。会の趣旨は最後までよくわからなかったのですが、子供たちは自分の書いた文章を持って、親の所に来て、親がそれについてコメントするというのがありました。その後、実はコメントは生徒が自分の親からだけではなく、クラスメートの親からももらうのだったらしいというのがわかったのですが…。ジュリはパパへの手紙で、iPodを買って欲しいというお願いをいろいろな理由をつけて書いていました…。ジュリのクラスメートの子で親が来ていないみたいだった子のを見せてもらったら、ジュリよりかなりしっかりした文章で、校長先生に対して制服を導入して欲しいという手紙でした。この子とジュリは誕生日がほぼ1年離れているので、こんなものかな…。理由の一つが「子供達は朝、クローゼットの中を服を探してまわるのにうんざりしています」というのだったのが笑えました。ここで初めて、ジュリのクラスにわりと最近入って来た日本人の女の子のお母様とお会いしました。まだ家が見つかっていないということで、大変そうでした。
そして最近のジュリウスが熱心なことといえば、おこづかいを使うこと。前回の日本一時帰国の時から、おこづかいをあげはじめ、アディスに戻って来てからは1週間に50ブル(250円ぐらい)を渡しているのですが、これを使うのが楽しみで仕方ない様子。もちろん、そんなにいろんなものが買えるような額ではないのですが。2週間ほど前に「NGOバザー」というイベントに行った時は、数週間分たまっていたおこづかいで、ビーズでつくったネックレスやブローチ等を3つぐらい買ってご機嫌でした。一番最近のおこづかいでは、子供用みたいなリップグロスを買って、私にくれました。私のために何か買うためのおこづかいじゃないよ、と言っているのですが…。あと、時々、こっそりコカコーラやファンタを買って飲んでいるみたい。うちでは炭酸飲料は一切買わないので。10ブルなんだけど、飲み終わって瓶が壊れていないのをお店に戻せば、5ブル返ってくるんだ、と言います。「瓶が壊れていない時だけ、5ブルがもらえるんだよ。壊れていたらだめ」と私に真剣な顔で何度も説明するのが笑えました…。一般的にここでは缶の飲み物というのはあまり見なくて、レストランでも瓶がほとんどです。このおこづかいのおかげか、最近のジュリは計算が早くできるようになりました。実はアディスに来たばかりの頃、担任の先生からジュリの算数の能力についてちょっと心配があると言われたことがありました。確かに当時のジュリは1桁と10桁の違いがよくわからないようで、例えば12と21を混同するということをよくやっていました。でも、最近はそんなことは全くなくなりました。早いもので、ジュリは3日前にちょうど7歳半になりました。これからの成長も楽しみです。
アディスの物流の不思議 ― 2012/01/13 15:51
アディスに戻って来て、未だに車のナンバープレートを取得できていないので、タクシーで通勤しているのですが、タクシーの運転手がやたらと何度もガソリンスタンドに行くのです。しかも、行ってもガソリンを入れないこともある。そして時々ものすごい車の列がガソリンスタンドにあります。なんだかおかしいと思い、運転手さんはあまり英語ができないので、他の人に聞いてみたら、やっぱり今週月曜からガソリンが品薄になっているということです。こういう状況では、どうやらガソリンスタンドは沢山のガソリンを1人の人には売らないみたいで、そうすると皆何度もガソリンスタンドに行くはめになり、さらに市内にガソリンを売っているスタンドの数が限られてくるため、ガソリンがあるスタンドにはすごい列ができるという訳です。なんともはや…。職場のアシスタントさんに聞いたところ、アディスではエチオピア暦の月末にあたる日には、月が変わるとガソリンの値段が上がるかもしれないという期待から、スタンドはガソリンを売り控えるようになるとか。でも、今は月はじめで、月末ではないそうです。この状況の中、昨日市内に買い物に出たピーターはなんとタクシーがガス欠になり、車を押さねばならぬはめになったそうです…。
ガソリンスタンドにガソリンがない、なんて状況は想像もできない人もいるかもしれませんが、アディスに住んでいると、こういうことがあるのはよくわかる気がします。というのも、ここには「在庫管理」というコンセプトがほぼないみたいなのです。前にも書きましたが、スーパーに行くと、ある時期あったものが、しばらくして行ってみると全くない、ということがよくあります。だから、気に入った物があったら、できるだけ買いだめしないといけません。鶏肉(日本のようにささみとか胸肉とか分けて売ってあるのではなく、1匹が丸々冷凍してあります。)なんて典型的で、運がよくないと見ません。これには、エチオピア人はお祭りの時に鶏肉を沢山食べるからという理由もあるそうで、エチオピア暦の新年等のイベントの後数日は、鶏肉と卵(鶏が殺されるので卵も。卵を取るための鶏と肉のための鶏を分けるということはないみたいです)が品薄になるのが普通とか。先週の土曜日はエチオピア暦のクリスマスだったのですが、月曜日のランチにチキン・サンドイッチを頼んだら、今日はできないと言われました…。
いろいろな物、そして同じ物が、いつでも同じ所で売っている、そんな当たり前のようなことが、ここでは全然当たり前ではありません。ある外国人が「アディスでは6つの物を買いたかったら、8軒のスーパーを探してまわらないといけない」と言っていたぐらい。でも、考えてみたら、日本のコンビニのような緻密かつシステマティックな在庫管理って、本当にものすごいことなのかも。我が国はすごし!とまた思ってしまいました。
アディスに戻りました&久々の日本で驚いたこと。 ― 2012/01/08 15:31
ついにアディスに戻ってきました。2週間の予定を3週間に延長したお休みでしたが、それでも正直なところ、アディスに帰るのは結構憂鬱でした。ジュリは明日から学校、私は仕事、気を取り直して、頑張っていかねば…。
今回の日本滞在では、初めてアディスから来たというのもあるのかもしれませんが、驚いたことがかなりありました。そのいくつかをご紹介。
まず、日本の空気の奇麗さに感動。アディスでは、真っ黒な煙を上げて走る車の排気ガスを吸って気分が悪くなる毎日なので、トラックとかでさえ黒い煙を上げていないのに驚きました。昔からこんなのが普通だったっけ?と思ってしまった。車の多い甲州街道を歩いている時でさえ、なんて奇麗な空気なんだ!と深呼吸したい気分でした。普段アディスでどんなに汚い空気を吸っていたのかと思うとぞっとします。実際、ぜんそく等になる子供が多いとか。
それと、高齢化社会になっているためか、病気や健康に関する新聞記事やテレビ番組が多いのにも驚きました。そういえば、大阪の非営利団体で、60代・70代のおじいさんたちと働いていた時、会話の半分以上が健康状態の話だったのを覚えています…。「セカンドオピニオン」だったと思うのですが、テレビでいろいろな病気に関して複数のドクターがいろいろな治療法を説明する番組は結構面白かった。最近はインターネットでいろいろな情報が手に入るから、こういう番組も受けるのかも。昔は素人が治療法を議論するなんて、御法度という感じだったと思うのですけど。
また、驚いたのがレストランやお店で、日本人じゃない店員さんが多いこと。はっきり確認した訳ではありませんが、日本語の発音がなんとなく違うので、「あ、日本人じゃないな」と思うことがよくありました。(私も変な日本語で外国人と思われていそう、というのは承知の上ですが…。)日本の国際化が進んでいるのだとしたら、個人的には歓迎です。そういえば、紅白にも韓国のグループがいくつか出ていましたね。ジブリ美術館に行った時も外国人率が高かったと感じました。
これらに加えて、もちろん日本の便利さ、清潔さ、何もかもがよくオーガナイズされていること、お店の人等がとっても礼儀正しいことには、今更ながら感動の連続でした。日本を去ってからもう12年以上が過ぎましたが、今更ながらにいい所も沢山あるなあ、と思えた滞在でした。こういう素晴らしい文化に見合う政治というのがこの国の大きな課題であるように思います。
原子力業界の内情 ― 2012/01/01 23:26
原発の話題が続いてしまいますが、こんな重要なニュースを見たので、ここでも紹介します。
http://www.asahi.com/national/update/1231/OSK201112310119.html
中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つはずである内閣府原子力安全委員会の委員24人が、過去5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていたとのこと。行政と業界の癒着を示す以外の何ものでもありません。
この8500万円、もらった原子力安全委員会委員の方には今すぐ返却するように要請し、原発事故のおかげで避難所生活を送っている人々の支援や、除染費用等のために使うべきだと思います。
謹賀新年&1年を振り返っての雑感 ― 2012/01/01 03:04
先ほど、地元の神社への初詣から帰ってきました。今回はジュリウスも連れて行きました。それほど寒くなかったので、1時間近く並んでも大丈夫でしたが、ジュリはさすがに眠くなったのか、帰りは歩きたくないー、とぐずり、お菓子を買ってあげるから、となだめすかさなくてはなりませんでした。
しかし、2011年はえらい年でした!個人的にも、3月にピーターの2度目の発作、8月の転職/アディスへの引っ越し、その後のエチオピア暮らしと苦労の連続でしたが、何と言っても東日本大震災と福島の原発事故は、海外に住んでいて直接影響は受けていないといっても、日本人として強烈な事件でした。特に原発事故を機会に、「原発のウソ」を始め、いくつか本を読んで、原発の恐ろしさとこれまで原発のことを何も知らなかった恐ろしさに愕然としました。私は日本というと子供の権利が守られないこと(児童虐待を防ぐ措置があまりにとられていなすぎなこと)と死刑制度廃止へ向けての世論形成がされないことを(沢山あるこの国の問題の中でも)特に問題視してきましたが、原発は確実に私にとっての新たな重要課題と思うようになりました。
そんな中、紅白を見ていて思ったのです。日本人の我慢強さ、地道に努力する性質、困難を乗り越えていく力、などは、もちろん美徳ではあるし、世界に誇れるものです。でも、この長所が、今回の大災害からの立ち直りに関しては、もしかすると短所となってしまう可能性も大きいと。今年の紅白は、私の印象では「大災害で被害を受けている人を励まそう」というカラーがものすごく強かったと思います。つまり「皆で頑張ろう!」というメッセージ。これはこれで素晴らしいことです。そして、今までもあらゆる困難から立ち直ってきた日本人は、今回もそうやって世界が驚くほどの復興を、驚くほどの早さで、成し遂げることだと思います。でも、その中で、原発事故という「人災」がなぜ起こったのか、起こした責任者はどう責任を取るのか、そしてもう2度と同じような事故を起こさないためにはどうするべきか、そういった議論が「皆で頑張ろう!ムード」に流されてしまってはいけない、と思うんです。そういう意味では、大震災と原発事故を同じように扱ってはならないと思います。原発に関しては、徹底した原因究明と、責任の所在を明らかにすること、そして新たな災害の防止、つまり日本に54基ある原発をすべて停止し、放射能廃棄物の処理について開かれた議論をし、代替エネルギーの開発へ力を注ぎ、原発で既得権益を築いてきた官僚組織を解体すること、これなしに、本当の意味での事故収束はありえないです。
新年早々、重い話題になってしまいましたが、2012年は日本にとって生まれ変わりの年にならないといけないと思います。日本がよい方向に変われるように、私たちはもっと行動を起こさないといけない、と思います。もう10年以上選挙に行っていない私がこう言うのも何ですが…。(言い訳っぽいですが、在外選挙の手続きをもっと簡素化して欲しい…。)
個人的な意味では、今年1年は仕事で成果が出せるように集中して頑張り、家族のアディス暮らしが楽しいものとなるようにしていきたいです。ジュリはこの点では大丈夫だと思うのですが、ピーターは相当参っているみたいなので…。新年の抱負というよりは、とにかく過去4ヶ月の経験では相当しんどいとわかってしまったアディスでの暮らしをなんとか乗り切っていければ、という感じです…。やっぱさすがにせっかく引っ越してきたからには、最低2年は頑張りたいので…。さて、どんな1年になるでしょうか。

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