雇用について2019/08/25 11:29

近年(といってもだいぶ前からですが)日本では雇用形態の多様化が進んでいて、終身雇用制が過去のものとなったのは、よく知られているところです。多くの女性が社会保障のないパートだったり、これはこれでいろいろ問題があり、さらに最近は移民労働者(っていいます?)の課題もあり、職に関する話題はつきません。

一方のスリランカ。ここでの職に関する意識というのは、驚くべきものがあります。なのでちょっと書いておこうと思いました。

まず圧倒的多数の人、特に若者が、いわゆるパブリックセクター、公務員を目指します。たとえ私企業でお給料がずっといい仕事があっても、公務員がよい。安定してるし、社会的ステイタスも高い。そしてひどいのが、昔は(今も?)政治家が票稼ぎのために、公務員のポストを必要かどうかも考えずに分け与えていたので、多くの若者は仕事というのは、就職活動をして競争を勝ち抜かなくても、与えられるものであると思い込んでいるようであることです。つまり、職は与えてもらって当然、という意識。なのでよく、スリランカでは仕事がないことを理由にした若者のストライキがあります。きっと仕事が全くないのではなくて、彼らが欲するような仕事はない、又は彼らのスキルレベルでできる仕事はないということだと思うのですが。。。

こういう文化が根底にあると、大変なのがリクルートメント。これまでも苦労はしてきましたが、この前信じられないことがありました。私たちのオフィスで、今採用過程のかなりシニアなポストがあるのですが、これに応募してきた人のうちの一人が、私に脅迫ともとれるようなメールを送ってきたのです。曰く、自分はこれまで14年も関連分野で働いてきて、いい仕事をしてきたのに、筆記試験にも呼んでもらえないのは、おかしいと。これも問題の一つですが、この国でリクルートメントをしていると、情報が漏れないことはありません。すでに筆記試験が終わっているということをなぜこの人が知っているのか?この情報漏洩のおかげで、もっとひどいことになったことも過去にはあります。なので、今後は筆記試験や面接に呼んだ人には、呼ばれたということを誰にも言わないように、とお願いすることにしました。まあ、それでもしゃべる人はしゃべってしまうと思いますが。

私からしたら、これまで関連分野の同じ仕事で14年働いてきたからといって、もっとよい仕事に考慮してもらう可能性が自動的にあると思うのは、大きな間違い、驕りだと思います。国連は(きっと他もそうでしょうが)そんな甘い世界ではありません。自分がキャリアアップできずに、14年間同じ仕事をしているのを人のせいにする、しかも国連機関の所長に対して脅迫めいたメールで要求してくるというのは、呆れるというか、なんというか。

この国では、長く働けば成果を上げたかどうかに関わらず、昇進の機会があるべき、という年功序列の考え方がまだまだ強い、と言えると思います。これまでも、そういう文化なんだな、と思ってしまう残念なことがいくつもあったのですが、この事件には相当びっくりしました。最近の調査によると、スリランカの若者が仕事につけない理由のトップ3は、ネガティブな態度、コミュニケーション・スキルの欠如、英語力のなさ、だそうです。このネガティブな態度をどうにかしないといけないと思うのですが、それにはきっと根本的な教育制度の改革が必要なのだろう、と思います。

ジュリウスの誕生日2019/08/24 13:14

今月6日はジュリの15歳の誕生日でした!15歳ってなんかすごい。もういよいよ「子供」ではなくなる感じ。。。

ジュリはハンバーガー大好きなのですが、コロンボですごく美味しいハンバーガーってあまりないんです。その中でも、彼が1番というのがシャングリラホテルの中にあるレストランのハンバーガー。もちろんお値段もいいですが、ここは雰囲気もすごくよく、去年私の誕生日でも行きました。でも実はここは、4月のテロの標的にされたので、4つぐらいあったレストランのうち、今は2つしか営業していません。私たちもテロ以来なんとなく行っていなかったのですが、今回は行ってみることにしました。

もちろん、セキュリティーはものすごく厳しくなっていましたが、お客さんが激減した影響か、スタッフがいつも以上にものすごく親切。感動しました。サービスも100点満点。お料理もいつも通り美味しかったです。(あまりによい経験だったので、2週間後のピーターの誕生日もここでお祝いしました。)

15歳といえばかなり難しい年頃。最近は機嫌の悪いことも多く、学校のこともあまり話してくれませんが、でも彼なりに成長しているのをみると、やはり感慨深いです。来年のお誕生日はどこで祝うことになるでしょうか!

イースター・サンデー・アタック2019/05/05 10:07

250人以上もの人が殺された、あの忌まわしいテロから今日でちょうど2週間。私たち家族はちょうど前日にシンガポールでの休暇から戻ってきて、のんびりとスーツケースに入っていた物を出したり、洗濯をしたりしていました。ピーターが「教会で爆破があったって、聞いた?」と言ってきたのが午前10時頃。そこから次々と爆破のニュースが入り、すぐ職場のスタッフの安否確認に入りました。幸い(?)去年の無政府状態の時にも安否確認はやっていたので、わりとすぐ全スタッフの無事は確認できましたが、一番最後まで連絡が取れなかったのが私のドライバーでキリスト教徒の男性。巻き込まれてたらどうしよう、と焦りましたが、別の教会のミサに出席していたとのことでした。それからの2週間は、ほぼ2・3日起きのセキュリティーに関する国連機関所長会議、本部や地域事務所との連絡、スタッフへの対応など、目まぐるしい日々でした。朝起きる度に、あんなことが本当に起こったのだろうか、悪い夢だったのでは?という感覚があり、職場には行けないので、日にちや曜日の感覚がなくなり、ルーティーンの大切さを改めて思う日々でした。ジュリも2週間学校に行けず、相当退屈しています。

スリランカが一般的にはテロの標的だとは思われていなかったこともあり、今回のことにはまだ誰もが「なぜ?」という気持ちで、何が起こったのか消化している段階だと思います。一方で、メディアでも伝えられている通り、大統領を始め、政府高官にテロの可能性があるという情報が随分前から、何度も伝えられていたのは事実であり、そういう意味では「起こるべくして起こった」というよりは「避けられた」テロだったと言えるでしょう。そんな回避可能の事態で250人以上の人が命を落とさねばならなかった、という状況には、まさに言葉を失います。

そんな中、私がすごく大事だと思うのは、この悲劇をスリランカにとってのターニングポイントとすることだと思います。ただ単に、悲劇を悲劇として乗り越えるのではなく、なぜこういうことが起こったのか、誰の責任だったのかを、責任のなすり合いで終わることなく、しっかりと検証する必要があると思います。今回のことについてメディアで発言しているスリランカ人も言っていることですが、責任は程度の差こそあれ、すべての人にあったはずです。こういう過激派があそこまでよくコーディネートされた大規模テロを実行することができた背景には、過激派の行動を容認する環境があったわけで、それにはスリランカの全国民、全住民が何らかの形で関わっていたと言えるはず。「私には関係無い」と言える人はいないはずです。

こういう考え方は、NYで9/11を経験した後や、福島原発事故の後にも私が主張していたことです。特に日本人の逆境から立ち直る力はすごいものがあると思います。でも、福島原発事故は自然災害ではありません。人災です。だからこそ、誰の責任だったのか、なぜあんなことが起こったのか、なぜ私たち国民は、あんな地震大国にものすごい数の原子力発電所がつくられるのを許してしまっていたのか、そういうことを考え、行動を改めないといけなかったと思います。残念ながら、あの3/11が日本でそういう機会になったとは思えませんが。

話をスリランカに戻します。全ての人に責任がある一方で、一番の責任者がいるのも事実です。そしてその一番の責任者が、一番責任逃れをしているのも、報道されている通りです。こういう状況は、この先のスリランカの政治、特に年末に控えた大統領選に影響があるのは必至です。当然のことながら、国民の中には、とにかく安定を望む声が大きくなっています。内戦が終わってからの10年間、人権や平和にあまりに焦点を当てすぎ、安全保障をないがしろにしてきたから、今回のテロは(国連を含め)人権擁護に注力してきた団体や人々のせいで起こった、とまでいう人々もいます。ここでスリランカは独裁者による警察国家を望むのか、それとも過去10年間、なんとか一生懸命育ててきた人権・平和・民族統合の種を育む政治を望むのか。まさに帰路に立つスリランカ、国連としてどうサポートしていけるのか、考えていきたいと思っています。

首相官邸でのイベント。2019/03/18 21:27

先週の土曜日は、首相官邸であった国際女性記念日関連のイベント「詩と音楽の夕べ」へ行ってきました。首相の奥様が、女性の権利に関する運動に強い関心を持っていらっしゃって、それもあって私を誘って下さったのですが、30人ぐらいの小さな集まりで、私以外の外交官は、イギリス大使とアメリカ大使だけでした。写真で挨拶をしているのが首相夫人です。

会場は広い首相官邸の一角に隠れるようにある、オープンエアの小さな舞台。蓮の花が咲き乱れる池があり、そこにロウソクを浮かべてあり、雰囲気満点です!

プログラムは、詩の朗読(クラシックな朗読から、劇のようなのまでありました)と音楽(ピアノの伴奏で、合唱やチェロの演奏)が絶妙に織り交ぜてあり、テーマは全て女性。セクハラのような社会的なテーマを扱ったものから、男性器についての斬新(!)なものまで、いろいろでしたが、どれもすごい!と唸ってしまうような上手さで、さすが国内でトップクラスのアーティストを集めただけある、という感じでした。私はチェロの演奏を聴きながら、鳥肌たったぐらいです。こんなプログラムに招待して頂けたのは本当に光栄でした!

スリランカ暮らしは実は苦労がすごく多くて、めげそうになることが多いのですが、こういうプログラムに接すると、この国の可能性を見せて頂いた感じがして、元気をもらった気がします。

シナモン&ペッパー2019/01/05 22:37

ふと気がついたのですが、ほとんどブログを書かなかったこの1年ちょっとの間に、うちには家族が増えていたのです。猫2匹。

最初の猫、シナモンは一昨年の12月、日本に帰る2週間ほど前に、私とジュリが近所の教会で見つけました。写真奥の三毛猫。シャム猫系と思わせる、毛が結構長い種類で、とにかく人懐っこく、1日だけ〜、と連れ帰って結局うちの子に。でもこの時、スリランカではトライキャットと言われる猫用のワクチンが不足していたため、シナモンは2回も入院することになり、かなり大変でした。今はびっくりするぐらい大きな猫になりましたが。。。

そして約1ヶ月前、これまた一時帰国前に、こんどは黒っぽいトラ柄の子猫が我が家の前に現れ。。。名前はスパイス系にすることは決めていて、カルダモン?トゥメリック?(どちらもスリランカ料理ではおなじみ)と悩んだのですが、結局もっとベーシックなペッパーに落ち着きました。この子もとっても人懐っこい猫です。シナモンとうまくいくかどうか心配でしたが、最初の2週間ぐらいは、シナモンの方がかなり意識している感じで、いじめてみたりしてましたが、一緒にいることも多く、うまくいきそうな感じ。私たちが日本にいていない間どうしてたのか、まだわかりませんが。。。リサーチによれば、猫2匹の場合、うちのようなメス猫2匹が、メス&オスとオス2匹の組み合わせと比べて、一番うまくいく可能性が高いそうです。ちなみにうちでは、フィジーでもトリノでも、猫2匹飼っていたんですよねー。その時は2回ともメス&オスの組み合わせでした。

謹賀新年2018/01/13 00:31

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

2018年のお正月。私たちは例年通り、日本に帰っていました。今年は例年より寒かった!でもいつもの日本の冬の青空、日本食、家族や友達と過ごす時間を満喫しました。今回はコロンボから初めての一時帰国だったのですが、気候の違いがかなりきつく感じられました。ハノイから帰っていた時は、ハノイも一応冬で寒かったからでしょうか。特に空気の乾燥が辛かったです。

元旦は多摩川を散歩。ピーターはラン、私とジュリは川沿いを歩きましたが、本当に気持ち良かったです。平和な日本を感じました。(北朝鮮や地震の脅威はありますが…。)

4日からは1泊2日で再び草津温泉に行き、温泉と雪景色を堪能してきました〜。やっぱ日本の冬は温泉!草津はお客さんも多く、賑わってました。寒すぎて前回3年前に来た時ほどは歩き回りませんでしたけど。

さて私にとってはスリランカ2年目(ピーターとジュリはまだ考えてみたら6ヶ月目なのでした)どんな1年となるでしょうか。幸い、1月にはスリランカ事務所にやーっと私の右腕となる人がやってきたのでほっとしています。これで彼女にどんどん仕事を任せて、今年は少し手を抜きたいですね。去年は200%出し切って頑張った感じだったので…。

オンラインで見つけた占いがとっても面白かったのでここにコピペします。

2017年までのあなたのキャッチフレーズを一言で言うと、「迷い、躊躇し、そしてやってみた」になります。そして、この2018年のあなたのキャッチフレーズは、「なんでもかかってこい」になります。

なんでもかかってこい。この勢いで今年も頑張りたいと思います!(全然手、抜けそうにない…)

写真は年末に鎌倉に行った時のもの。鎌倉、何十年ぶりかに行きましたが、すっごくおしゃれになっててびっくりでした!

平和構築と青少年育成2017/12/03 12:01

先週末から今年5度目のモルジブ出張に行っていたのですが、帰って来た翌日、今度は北中部のアヌラダプラで若者対象のシンポジウムの最終日に参加してきました。

国連人口基金で主に知られているのは、妊産婦の健康を含めた性と生殖に関する健康に関わる事業ですが、これに関連して性教育や青少年育成全般に関する仕事もやっています。スリランカではこれを平和構築と繋げたプロジェクトをやっていて、今回のアヌラダプラのシンポジウムは、全国各地で5つ計画しているシンポジウムの第一弾でした。

シンポジウムでは、国連人口基金がサポートしてきた北部州の青少年政策の草案を議論したり、参加者がグループで自分たちのコミュニティーの社会問題を解決するためのプロジェクトを作成したりしました。これは平和構築のプロジェクトではあるのですが、内戦の被害を最も被った地域のひとつである北部では「平和構築」という言葉時代がネガティブな響きを持っているというので、敢えてこの言葉を使わず、コミュニティーレベルでの活動に焦点をあてた内容にしました。私は4日目の最終日に参加したので、きっとみんな疲れているんじゃないかと思いきや、さすが若者、みんな元気!100人以上が、飽きることもなく、熱心にグループでの議論に参加していました。

このシンポジウムの計画段階で私が心配していたのは、女性参加率。スリランカでは、結婚前の女性が泊りがけの旅行に出るというのはセキュリティーや慣習の面でなかなか難しく、これまでやってきたミーティングでも、ドタキャンする女性が非常に多かったのです。でも今回は4割以上を女性参加者が占めたので、大成功でした。もちろん、5割になるべきですけど。

次回のシンポジウムは東部で来年1・2月頃。今回はほぼタミル語が使われましたが、東部は北部より多様な民族が住んでいるので、3ヶ国語(シンハラ・タミル・英語)での議論になりそうです。これも楽しみです。

女性に対する暴力撲滅キャンペーン2017/11/24 22:32

あれよあれよという前に前回のブログ更新から3ヶ月も経ってしまいました。とにかく忙しい日々でした。気がつけば私がスリランカに来てから10ヶ月目に突入しました。

今日は、女性に対する暴力撲滅キャンペーンの開始のためのプレスカンファレンスを行いました。このキャンペーンは「ジェンダーに基づく暴力撲滅のための16日間」という全世界で毎年行われているもので、国連機関はそれぞれの国でも独自にいろいろなキャンペーンを行います。ここスリランカでは、来年地方選挙が予定されていることもあり、「選挙中の女性に対する暴力撲滅」をテーマに選びました。特にスリランカでは、ソーシャルメディアを含め、メディアが女性候補者に対して人格を否定するような記事を載せることが多々あるということです。そのためか、スリランカの女性は教育レベルでは男性を凌ぐというのに、女性国会議員は5.3%、地方議会に至ってはなんと1.9%のみ。女性の首相が過去にいた国とは思えません。それでも来年からは地方議会では25%は女性でなければならないという新しい政策が導入されるので、変化を起こす機会と言えます。

このキャンペーンでは世界的にオレンジをテーマカラーとして使うことになっているので(偶然か?国連人口基金のカラーもオレンジです)スタッフと一緒にオレンジのサリーを着てみました。なんと今回、初めて自分でサリーを着てみました。やってみるとそれほど難しくはないのですが、やっぱり慣れないと、着心地のよい着方というのにはならないようで。歩きづらいし、なんだかバラバラになりそうで怖かったです。でもスタッフには初めてにしては上出来!と褒めてもらいました。

明日からは今度はモルジブへ今年5度目の出張。帰ってきたら翌日からは、スリランカ北中部にあるアヌダラプラへの出張。忙しい日々が続きます。

スリランカ洪水2017/06/03 18:01

日本でも報道されたと思いますが、今週はスリランカの洪水&土砂崩れ対応で大変な1週間でした。私の働いているUNFPAは人道支援や緊急支援ではあまり知られていませんが、こういう災害時でも妊産婦さんや女性の安全を守るという目的で、実はいろいろと活動しているのです。一番典型的なのは「ディグニティー・キット」とよばれる生理用ナプキンや下着などが入っているキットを配ることですが、その他にも、モバイル・クリニックを派遣して妊婦さんの健康維持を図ったり、一時避難所となったところで女性のプライバシーや安全が守られるようなスペースをつくることを提案したり、ということをやっています。2004年の津波の後、避難所でかなりの数のレイプがあったそうで、そういうことを避けるのも大切な活動の一部です。

しかし今回の洪水、実は私にとっては最初の人道支援経験なのです…。エチオピアにいた時も、国連は人道支援をやっていましたが、そっちの仕事はほぼ全然担当しなかったので。オフィスには経験のある人もいるので頼りにはなりますが、特に地域事務所の人たちとのやりとりで「こんなもんなのか?」と疑問なことが沢山ありました。正直なところ、60万人が影響を受けたといっても、他のすべての仕事をおいといて人道支援に集中するという状況ではないので(コロンボはいたって普通な感じだし)人道支援関連の仕事をやりつつも他のいつも通りの仕事もいつも通り続けないといけない、とうことで、仕事量が一気に増えました。特にNYとのやりとりでは夜に働かないといけないことが多く、若い時は大丈夫だったけど、老体には辛いです。

そんな訳で、これから数週間はまた異常な忙しさが続きそうですが、もうすぐ夏休みなので頑張ります。写真はうちのスタッフで土砂崩れの被害のあった所の近くに住んでいる人が撮ったものです。

シギリアへの旅その3:シギリアロック2017/05/13 18:35

そして2日目、ついにシギリアロックに登ってきました。朝7時半からのオープンに合わせて行き、約40分ぐらいでわりとすんなりと頂上へ。ほとんどが階段なので楽でした。上からの眺め(写真)はまさに王様の眺め!という感じ。ここももちろん世界遺産です。5世紀にシンハラ王朝のカッサパ1世という王様によって作られたそうです。今でこそ鉄で作られた階段がこの岩の周りにあって登りやすいですが、当時、岩をよじのぼって上に王宮をつくるというのは並大抵のことではなかったことと想像できます。

上からの眺めを堪能してから降りてくると、登ろうとしている人のものすごい列が!しかも全く動いているように見えません。こんな状況だったら、私だったら絶対諦めて帰るなあ、というぐらいのひどさでした。シギリアに行くなら朝1番!チケット売り場に「人が多すぎて、登らないことにしても払い戻ししません」と書いてあっただけのことはあります。

帰り道は、なんとインドのモディ首相がコロンボに到着した時間と重なってしまったため、高速道路が閉鎖されていて、しばらくものすごい渋滞に巻き込まれましたが、なんとか無事帰り着きました。2日間と短いながらも大満足の旅でした!