近況報告2015/08/10 18:36

また久々のブログ更新になってしまいました。というのも、大変なことが起こってしまい…。ピーターとジュリが7月末にドイツから戻ってきたのはよかったのですが、なんとピーターがハノイの飛行場でこけて左手首の骨にヒビを入れてしまったのです。その時はそんなに大事でもないだろうと、医者に行くべきかどうか迷ったぐらいだったのですが、家の近くのクリニックに行ってX線を撮ってもらったら、見事にひびが入っていると。1週間ぐらいこのまま安静にして、その時点でもう1度X線を撮って、手術が必要かどうかを診るべき、と言われました。

1週間後といえば私たちがタイへのバケーションに行っている時です。バンコクは世界的に医療費が安くて質がよいことで「メディカル・ツーリズム」で知られているぐらいですから、ちょうどいいと言えばちょうどいい…。という訳で、バンコクについて2日目、ピーターは私の友達に紹介してもらった有名な病院に行きました。そこで1週間前に撮ったX線写真を見せたら、それだけで速攻「手術が必要です」と言われてしまいました。しかも2晩の入院が必要だと…。ピーターはまさに打ちひしがれて帰って来ました。

元々はバンコクには2泊しかしない予定で、2週間のほとんどをコーチャンという島で過ごす予定だったのですが、これで急遽予定変更になってしまいました。ホテルはキャンセル不可だったので、私とジュリだけ先に行くということも考えたのですが、そうするとジュリの11歳の誕生日を家族で過ごせなくなってしまいます。全身麻酔の手術をするのに、バンコクにひとりぼっちというのもかわいそすぎるし、結局はバンコク滞在を1週間に延ばすことにしました。

ひびの入った骨にプレートを打ち付けるという手術は火曜日の夜8時半に始まり、なんの問題もなく終わりました。でもやっぱり全身麻酔というのは、本人も家族も、万が一目が覚めなかったらどうしよう、みたいな不安があり、ジュリも結構動揺していたようです。翌日、お見舞いに行った時は、ピーターはまだモルフィネでぼーっとしていた感じでしたが、幸い痛みは手術が終わってからほとんど感じなくなったようです。

そんなこんなでなんだか休暇じゃないような感じで1週間が経ち、やっと一昨日、コーチャンに着きました。とっても素敵なリゾートでのんびりしてます。とりあえずは、ほっとしました…。

ジュリの誕生日。2015/08/11 14:48

先週、8月6日はジュリの11歳の誕生日でした。前述のように思いがけずバンコクで過ごすことになった彼の誕生日。ピーターはまだ午前中は入院中だったので、私はジュリを連れて、サヤームパラゴンというデパートの中にある水族館へ行ってきました。

世界中でいろいろな水族館へ行っている私たちなので、正直あんまり期待していなかったのですが、バンコクのど真ん中のデパートにある水族館にしては見応え十分。しっかり楽しめました。特にシャークフィーディング(サメへの餌やり)はスリルもあってよかったです。子供がヒトデ等に触れるコーナーもありました。

水族館の後には、トイザらスへ行き、ジュリが前から目をつけていたおもちゃを購入。ジュリが「サプライズでないとつまらない」というので、欲しいものを2つ選んで、その中からジュリが見てない時に私が選んで買う、という(めんどくさい)プロセスで買いました。

ホテルへ戻ると、退院したピーターが帰って来ていたので、皆んなでホテルのハッピーアワーへ。そこでホテルが準備してくれたジュリの誕生日ケーキを食べました。ホテルはジュリがいくつになるかとか聞いてこなかったので、ろうそくはなぜか6本。ジュリは気にしてませんでしたが…。ここで前から買っていたもう1つ別のジュリへのプレゼントを渡し、ジュリはご機嫌でした。ほっ。

このところ毎年違う国で誕生日を迎えているジュリですが、来年はどこで祝うことになるでしょうか…。

コー・チャンでのバケーション2015/08/17 23:00

予定より5日遅れて、8月8日に私たちはコー・チャンというバンコクから車&フェリーで6時間ぐらい行ったところにある島へ到着しました。本当はここで2週間弱過ごす予定だったんですけど、1週間の滞在になりました。

私たちが泊まったホテルは、これだけ世界中旅をしている私たちでも納得の、すごくいい感じのホテルでした。あまり規模が馬鹿でかくなく、サービスが行き届いていて、しかもローシーズンだったからか、お客さんもそれほど多くなくて、毎日のんびりとプールやビーチで過ごせました。何しろ朝食がすごく気に入りました。普通はホテルの朝食というとビュッフェですが、ここではすごく充実したメニュー(洋食とタイ料理両方ありました)から好きなだけ、しかも1日中いつでも(もちろん1日1回ですが)注文できるのです。私たちは毎日遅めに起きて、朝9時か10時ぐらいにプールの側のオープンエアのレストランへ行き、ゆっくり時間をかけていろいろ食べて、それでランチはなし、という感じで毎日過ごしてました。

ピーターが手術後だったこともあり、プールとビーチ以外はあまり外出もせずに過ごしたのですが、1日だけ象に乗れるツアーというのに行ってきました。これはジュリの誕生日祝いに行くという約束だったので!全般的には楽しめましたが、私たちはネパールでエレファント・サファリも行ったし、かなり期待値が高かったので、それにしてはもうちょっと象の生活に関する説明があったりしてもよかったよなあ、と思ってしまいました。象の餌やりも、バナナが少しだけで、あっという間に象達は食べ終わってしまったし。でも写真のようにジュリはとっても満足そうでした!

コー・チャンは私の同僚のオススメで行ったのですが、本当にのんびりできてよかったです。ビーチはかなり石がゴロゴロしていて泳ぐにはあまり適さない感じでしたが、私はプールで泳いで砂浜では砂遊びができればいい、と思ったので、不満はありませんでした。タイは今雨季なので、雨が多くはありましたが、耐えられないほど暑い日というのはなくて、かえって外で過ごすにはいい気候でした。予定より短くなってしまいはしましたが、コー・チャンでのバケーション、だらだらのんびりできてよかったです!最終日には、素晴らしい夕日も見ることができました。今度来た時には、シュノーケリングやカヤック等も挑戦してみたいです。

戦後70年。2015/08/28 14:17

今年はいろいろな意味で特別な年だと思うのですが、そのうちの1つが戦後70年です。あの戦争で何が起こったのか、戦争から何を学ぶべきか、改めて考える機会だと思います。

私は戦後50年の広島の記念式典の時、広島に行った覚えがあります。当時は大学生でした。日本がまた戦争を起こすなんてありえないと思いながらも、少しでもその当時のことを近くに感じたいと思う気持ちがあったように思います。あれから20年、今の日本が置かれている状況、そして安倍政権が向かおうとしている方向を思うと、どうしてこうなってしまったんだろう、と思わずにはいられません。そして戦中・戦後直後のことを知る人がどんどんいなくなっていく今、私たちを含めた若い世代がもっと日本の歴史から学び、教訓を今に生かしていく必要があると思います。

特に私が強烈な怒りを感じたのは、河内原発の再稼動を、広島・長崎の式典の直後に行ったことです。原爆と原発を一緒にするのはおかしい、という人もいるでしょうが、私にとっては核の力を使うという意味では、同じことです。原発の再稼動をあのタイミングで行ったのは、広島・長崎の被爆者と福島の事故のために未だに避難生活を続けている人々への侮蔑だと思いました。

この機会に私は「あの戦争と日本人」という半藤一利さん(「ノモンハンの夏」等で有名です)の書いた本を読んでみたのですが、改めてあの戦争に突き進んでいったのは狂っていたとしか思えませんでした。あの狂気を、私たちは毎年でも毎日でも、思い起こさなくてはいけないのではないかと思います。そして正直なところ、知らなかったことも結構あって、もっと勉強しなくてはとも思いました。歴史をしっかりと勉強すると、自然と今やらないといけないことがはっきりしてくるように思います。

戦後80年を迎える時、日本はどんな国になっているのでしょうか。その時まで平和憲法を守ることができるでしょうか。きちんと歴史を勉強し、2度と間違いを起こさない国でいられるでしょうか。日本がどんな政治的決断を取るにしろ、それは確固とした歴史を踏まえた反省の元になされるものでなければいけないと思います。

インドへ出張に行ってきました。2015/08/29 14:21

今週はリソース・モビライゼーション(要するに組織のためにお金を取ってくること)のトレーニングのためにインドへ行っていました。インドと言えば、私が前に1度行ったのは22年ぐらい前の大昔。いつもの旅メイトの詩ちゃんと一緒にバックパッカーとして3週間、北と南インドを周りました。あれからインドはベトナムと同じ「中産国」になったことだし、相当変わっているだろうという期待しながら、バンコク経由でデリーに着きましたが…。

到着して空港の外に出ると、なんとすごい雨!台風みたいです。それでも警察がやっているというタクシーに乗り込みました。ちょっと信じられないようなボロい車で、不安ながら出発すると、なんと道には下水道がないのか、まるで川のようになっています。途中、ずいぶん雨で動けなくなっている車やバスを見ながら、大丈夫かなあ、と思っていたらやっぱり。交差点で止まった時、エンジンが止まってしまい、動かなくなってしまいました…。タクシーの運転手はほとんど英語が話せません。この時点でもう9時ぐらいで、あたりは真っ暗。ホテルに電話して、車で迎えに来てくれるようにお願いしましたが、一体いつ来るのかわからず、不安…。部下と一緒でひとりぼっちでなかったのは救いでした!結局15分ぐらいしたら、車がまたなんとか動き出し、1時間ぐらいでやっとホテルに到着しました。なんとも壮絶なインド滞在の始まり!

その後は、ホテルのサービスの酷さにびっくりし続けました。受付の人は何を聞いてもよくわからない感じで、いつも3人ぐらい別の人に同じ話をしなくてはいけません。3日目にはシャワーのお湯が出なくなり、それを治すのに12時間かかりました。インターネットのパスワードを受け取るのには、3日間、毎日、4ー6時間待たなくてはなりませんでした。部屋にあったシャワーキャップが入っているはずの小さな箱を開けると、中は空っぽ。部屋にはついていなかったヘアドライヤーを持ってきてもらうようお願いしたら、15分未満で持ってきたのでびっくりしたのですが(きっと1時間ぐらいかかると思っていたので)受け取ってからシャワーを浴びていたら、部屋のドアベルを狂ったように押し続ける人がいたので、仕方なくシャワーから出て何の用か聞いたら、なんとヘアドライヤーを持ってきたと…。本当に何一つきちんとできないんだ!とがっくり。でもこれ、私たちがエチオピアで生活していた時の経験と酷似しています。インドが中産国だというのは、ジョークとしか思えないという結論に達しました…。

肝心のワークショップはすごくためになり、満足できました。一番強く印象的だったメッセージは、リソース・モビライゼーションと言っても、お金をもらうことを一番に考えてはダメだということ。価値観を共有するドナーといい関係を築くこと、彼らに社会的にいいことをする機会を与えてあげるという感じでアプローチすることが大切だということです。考えてみると当たり前なことなのですが、とにかくお金を持ってこなくてはというプレッシャーがあるとつい必死にそれだけになってしまいがちなのは事実。もっと長期的な視点を持って、組織の存在理由をつきつめて考えていくことが大事だと改めて思いました。そしてもちろん、組織全体としてもっともっとコミュニケーション能力を磨かないとということも!国連はユニセフを除けば、まだまだコニュニケーションの分野では弱いと思うので…。

今回のワークショップは国連主催ではなかったので、それも新鮮でした。100人以上の参加者のうち、国連関連は私と私の部下を含め3人だけでした。インドのカースト制をなくすために活動している人にも会ったりして、とても刺激になりました。インド自体に関しては、あまりいい印象を持てずに帰ってきましたが…。また行く機会があったら今度はもうちょっといい印象を持てるといいんですが!