ナンバープレート取得&最近のジュリウス2012/02/08 16:10

家で日本語の使える自分のマックをインターネットにつなげられないので、またまたブログの更新が遅れてしまいました。

先週の木曜日に、ついに車のナンバープレートが取得できました。コンテナが10月末に着いてから3ヶ月ちょっと。やっと車が使えるようになったので、ほっとしました。早速ドライバーさんを雇って、ジュリと私の送り迎えにタクシーを使わずに済むことになりました。これまでどこに行くにも、またタクシーの値段交渉をしないといけない、と思うと憂鬱だったのですが(メーター・タクシーなんてものはありません)これで行動範囲が広がりそうです。ピーターもバンビスという市内にある外国人用のスーパーに気軽に行けるようになり、お料理しようという意欲も出てくるのではないかと思います。(家の近くのスーパーで手に入る食材は限られているので。)私は週末は運転しようと思っていて、それも楽しみ。しかし、これですべて完了という訳にいかないのがエチオピアで、まだ「タイトル」と呼ばれる書類をもらい、保険会社から車が保険に入っていることを証明するシールをもらったりと、事務作業が残っています。毎日電話して催促しているのですが、どうやらあと1ヶ月ぐらいはかかるらしいです…。

金曜日は、私は国連の休日で仕事がお休みだったのですが、ジュリは学校があり、「説得力のある書き方についての会」というのがあったので、行ってきました。会の趣旨は最後までよくわからなかったのですが、子供たちは自分の書いた文章を持って、親の所に来て、親がそれについてコメントするというのがありました。その後、実はコメントは生徒が自分の親からだけではなく、クラスメートの親からももらうのだったらしいというのがわかったのですが…。ジュリはパパへの手紙で、iPodを買って欲しいというお願いをいろいろな理由をつけて書いていました…。ジュリのクラスメートの子で親が来ていないみたいだった子のを見せてもらったら、ジュリよりかなりしっかりした文章で、校長先生に対して制服を導入して欲しいという手紙でした。この子とジュリは誕生日がほぼ1年離れているので、こんなものかな…。理由の一つが「子供達は朝、クローゼットの中を服を探してまわるのにうんざりしています」というのだったのが笑えました。ここで初めて、ジュリのクラスにわりと最近入って来た日本人の女の子のお母様とお会いしました。まだ家が見つかっていないということで、大変そうでした。

そして最近のジュリウスが熱心なことといえば、おこづかいを使うこと。前回の日本一時帰国の時から、おこづかいをあげはじめ、アディスに戻って来てからは1週間に50ブル(250円ぐらい)を渡しているのですが、これを使うのが楽しみで仕方ない様子。もちろん、そんなにいろんなものが買えるような額ではないのですが。2週間ほど前に「NGOバザー」というイベントに行った時は、数週間分たまっていたおこづかいで、ビーズでつくったネックレスやブローチ等を3つぐらい買ってご機嫌でした。一番最近のおこづかいでは、子供用みたいなリップグロスを買って、私にくれました。私のために何か買うためのおこづかいじゃないよ、と言っているのですが…。あと、時々、こっそりコカコーラやファンタを買って飲んでいるみたい。うちでは炭酸飲料は一切買わないので。10ブルなんだけど、飲み終わって瓶が壊れていないのをお店に戻せば、5ブル返ってくるんだ、と言います。「瓶が壊れていない時だけ、5ブルがもらえるんだよ。壊れていたらだめ」と私に真剣な顔で何度も説明するのが笑えました…。一般的にここでは缶の飲み物というのはあまり見なくて、レストランでも瓶がほとんどです。このおこづかいのおかげか、最近のジュリは計算が早くできるようになりました。実はアディスに来たばかりの頃、担任の先生からジュリの算数の能力についてちょっと心配があると言われたことがありました。確かに当時のジュリは1桁と10桁の違いがよくわからないようで、例えば12と21を混同するということをよくやっていました。でも、最近はそんなことは全くなくなりました。早いもので、ジュリは3日前にちょうど7歳半になりました。これからの成長も楽しみです。

青ナイル峡谷&ポルトガル橋2012/02/08 16:15

職場のカフェのWifiを使って、まとめてブログの更新をしています…。

先週の日曜日は、日帰りツアーに参加して、青ナイル峡谷&ポルトガル橋を巡る旅へ行ってきました。私はてっきり峡谷を歩き回るようなツアーだと思っていたのですが、実際はバスに乗っていた時間が10時間ぐらいあり、えらい疲れました…。でも、初めて見る場所に行けたのはよかったし、景色は壮観でした。

朝7時にアディスのヒルトン・ホテルで集合して、一路北へ。実は私たちがアディスから北に向かうのはこれが初めて。今まで行ったアディス郊外の町はすべてアディスの南にあったので。アディスを出ると、乾燥しただだっぴろい景色が延々と続きます。「まんが日本昔話」に出て来そうな、とんがり茅葺き屋根で泥壁の家の集落と、牛・ヤギ・羊と畑以外は何にもない景色。トラクターなんてものはもちろんありません。80年ぐらい前の日本の農村ってこんな感じだったのかなー?と思ってしまいました。ガイドさんによると、エチオピアの主食である「テフ」(これでインジェラと呼ばれるパンケーキみたいなものをつくります)は1年に2回収穫があるそうで、今はちょうど雨期の後、収穫が終わった後だそうです。これが一面の緑だったりすると、かなり感動的な景色だろうと思ったので、雨期の直後、10〜11月頃に来てみるといいのかもしれません。

3時間ほど走って、最初の休憩。コーヒーだけの予定だったのですが、お昼まで4時間はあるということで、皆でスクランブルエッグみたいなものとパンを注文して食べました。そこから青ナイル峡谷までが2時間ちょっと。青ナイル峡谷は上から下までをうねうねと30分ぐらい車で下ったのですが、上からの景色は霧がかかったようになっていて、それほどよく見えませんでした。下まで行くと、青ナイル河にイタリア人が占領時代につくったという古い橋と日本が数年前につくったという新しい橋がかかっていたので、車から降りてその付近を散策しました。写真はその日本の政府開発援助でつくった橋のたもとで。実はこの橋以外にも、この日に通った道は日本がつくった部分があり、他にもこのような日本の旗がついた石碑みたいなものを見ました。青ナイル河自体は雨期のため、水量がとても少なかったですが、橋からの眺めはよかったです。

この橋の付近でまた休憩し、また同じ道をうねうねと上がり、アディス方向へ向けて走りました。結局2時に着くはずだったお昼の場所についたのは午後4時。車内でバナナやパンが配られはしたものの、これはちょっとツアー会社の計画ミスだと思うのですが、このお昼の場所はグランドキャニオンのようなすばらしい景色でした。野鳥でも有名な所らしく、すごい望遠鏡を持った本格的なバードウォッチャーたちを見ました。肉眼で見る限りではそれほど鳥は見られませんでしたが。ここから歩いて15分ぐらいの所に、ポルトガル橋と呼ばれる約400年前につくられたという橋があったので、行ってみました。ダチョウの卵の殻も使われて造られた橋ということでした。橋自体はすごいというほどのものでもありませんでしたが、この付近の景色もまた素敵でした。ちなみにこの橋には物売りの人が何人かいて、ジュリは彼らと値段交渉していましたが、この時おこづかいは2ブルしか残っていなかったので、結局交渉成立しなかったみたいです。

午後6時前にアディス着のはずが、家に帰り着いたのは8時すぎ。ジュリは本当によく頑張ったと思います。子供はジュリだけだったので、退屈だったと思うのですが、それほどうるさく文句も言わず、バスでもおりこうにしていました。振り返ってみれば、青ナイル峡谷まで行かなくても、お昼を食べた場所とその付近の見所を歩いてまわるだけでもよかったような気がするのですが、でも「青ナイル」と聞くと、行きたいと思ったのも確か。私は先週も出張で往復8時間ぐらい車に乗ってアワサという湖の近くまで行って来たので、もっと車に乗る時間を減らして、ハイキングするような旅がしたかったです。次回ツアーに参加する時ははそこらへんをチェックしなくては、と思いました。