在外投票に行ってきました。 ― 2016/07/01 21:14
とっても恥ずかしい話なのですが、私は過去15年以上、選挙で投票したことがありません…。というのも、3・4年ごとに海外で引っ越す暮らしで、住民票は東京に置いたままになっていたのです。でも、去年の安保法案の議論のあたりから、これは私の1票を無駄にしてはいけないんじゃないか、と強く思うようになり、前回帰国の際に住民票を抜き、在外投票ができるように手続きしました。という訳で、今回の参院選、私にとっては在外投票デビューということになります。
長い間選挙をしていなくて、しかも日本の政治をきちんとフォローしていなかった身としては、誰に、どの党に入れるかは悩みどころ…。ウェッブサイトでいろいろと調べて、自分の意見と合う人・党を見つけ、今日ハノイの大使館で投票してきました。(私は反原発・反憲法9条改正で、ぜひ女性議員を増やしたいので、自ずとどこらへんに入れるかはわかってしまうと思いますが…。)どんな感じなんだろう、混んでるのかな?と思いきや、会場には私以外にもう1人、70代ぐらいと思われる男性しかいませんでした。でも日本らしく、3人も人がいて、いろいろと細かく説明してくれました。投票箱というのはなくて、投票用紙の入った小さな封筒をさらに大きな封筒へ入れて、封をして、それに立会人という人が署名して、終わりでした。封筒は、私が最後に住民票を持っていた東京都調布市の選挙管理委員会宛、だったと思います。
次は都知事選!と張り切っていたところ、今日の投票場にいらした大使館の方に、在外投票は国政選挙のみで、地方選挙はできないんです、と考えてみたら当たり前のことを言われました。もう住民ではないので、投票権なし、ということです。思わず、「ああ、そうですよね、全国の地方選挙まで世界中の大使館や領事館で受け付けていたら、仕事が増えすぎますよね」と言ったら、3人の方はなんだかめちゃめちゃうけていました。でも〜、あの舛添さんの後任選び、ぜひ一票入れたかったな〜。
しかし、やってみれば海外での投票、思ったよりも全然大変ではありません。在外選挙認証を得るには2ヶ月ぐらいかかりましたが、別にすんなりと取れたし。ぜひ、他の海外在住の日本人の方にも沢山投票して欲しいものです。
旧正月休み終了。 ― 2016/02/14 22:30
さて、今日で長かった旧正月休みも終わり。このお休み中は本当に天気に恵まれました。ハノイの冬というと、霧雨のような雨が降り、湿度が高いためにしんしんと冷える、というのが定番なのですが、今週は本当に気持ちのいい晴天続きでした。
1週間近く休みなのに私たちが旅行に行かず、家で過ごすというのは、産休を除けば初めてだったような気がします。退屈するかなあと思っていたのですが、天気がよかったために毎朝家族3人で湖のほとりを歩き、夕方には夕日を見に公園へ行くというのを習慣にして、あとは特に遠出もせず、家の近くで過ごしていたのですが、すごくリラックスできました。ピーターは普段、もっと自分だけの時間が沢山とれるので、私とジュリが1日中家にいるのはストレスだったかもしれませんが…。私は、いよいよ佳境に入ってきたヨガ・ティーチャートレーニングの復習や宿題をやったり、読みたかった本を読んだり、のんびりできてとてもよかったです。
夕方のお散歩では、ジュリの主な目的は犬と遊ぶこと。彼はもうだいぶ前から犬を飼いたがっているのですが、私とピーターは犬はあまり好きでないので、公園でいろいろな犬と遊ぶことでジュリの犬が欲しいという気持ちを満たしているつもり。運がいいと本当に沢山の犬がいて、遊びきれないぐらいです。写真のジュリ、幸せそうじゃないですか?
明日は「仕事始め」です。また忙しい日々が始まりますが、この休暇でエネルギーを溜められたと思うので、頑張ります。
あけましておめでとうございます。 ― 2016/01/07 20:49
相変わらず忙しくしているうちに年が明けてしまいました。皆様、あけましておめでとうございます。今年は申年!ジュリは年男です。今年もどうぞよろしくお願いします。
例年通り、今年もクリスマス前から一時帰国しています。明日、ハノイへ戻ります。一時帰国のちょうど2週間前、とうとううちの事務所に新しい所長が着任し、私の所長代理としての10ヶ月の仕事も終わりました。仕事量も責任の大きさも減るはず、と思うとほっとした面はあるのですが、やっぱり自分がトップの方がやりやすい且つ楽しいのは確かで、今年はこれから事実上の降格(10ヶ月事実上の昇進だったので)にどう慣れていくかが課題です。とりあえず、仕事ばかりにフォーカスせず、ハノイ暮らしを楽しむこと、昨年から参加しているヨガの先生になるためのコースを無事修了すること、そして去年から悩まされている座骨神経痛を治すこと、ジュリが無事中学1年生を終われるようにサポートすること等にエネルギーをさいていきたいと思っています。仕事ばかりが人生ではないですし!
さて今回の一時帰国でもとにかくのんびりすることを目標にだらだらしていましたが、昨年の草津に引き続き、今年は同じ群馬県の伊香保温泉へ行ってきました。全体的にはかなり廃れてしまった温泉地という印象は否めませんでしたが、それでも有名な365段の石段を上がったり降りたりしながらお店を見るのは楽しかったし、最終日にはイチゴ狩り(写真)も経験できました。ジュリはこれがとっても楽しかったみたいです。最近のイチゴってこんなパイプみたいなので育って、しゃがみこまずに摘めるんだ、というのはびっくりでした。伊香保温泉は眺めがすごくよくて、特に雪の谷川岳はとっても綺麗でした。それから、東京で行った初詣での今年のおみくじはなんと家族全員大吉でした!最近のおみくじって、大吉ばっかりだったりしないのかしら、と思ってしまいましたが…。
ハノイ暮らしも3年目に突入する今年は、もっとベトナムのことも勉強したいし、まだベトナムで行ったことのない場所にも行ってみたいですね。ブログももうちょっと頑張って更新したいです…。
ベトナムの独立記念日。 ― 2015/09/05 22:01
今月3日はベトナムの独立記念日、しかも70周年という節目の年だったので、いろいろなイベントがありました。私は所長代理という立場上、頑張って4つのイベント全てに行ってきました!
一つ目は1日前の7月2日の早朝、ホーチミン廟へ花輪を捧げに行くというものでした。ホーチミン廟へは20年前にハノイに住んでいた時に行ったことはありましたが、最近では初めて。他の国連組織の所長や各国大使等と一緒にぞろぞろと並んで、永久保存処置がされたホーおじさんにご挨拶してきました。私の知っているベトナム人は皆、ホーチミンはこんな風に死んでからも、遺体をお墓に埋めることなく、人目にさらすことは望んでいなかったんじゃないか、と言っていましたが、本当に、そうなんじゃないかと思いました…。まあ、これはサクッと終わったのでよかったですが。
二つ目のイベントは、最近新しくできた国会のビルであった夕食会。「レセプション」と書いてあったのですが、ちゃんとした座って食べれるディナーでした(写真)。これにはピーターも一緒に行きました。こういう国会での夕食会には今年、列国議会同盟(IPU)の会合がハノイで会った時にも出席したので、私にとっては2回目でしたが、ピーターは初めて。ベトナムの大統領や首相と一緒にディナーができるというのは、例え他の何百人のゲストと一緒だったとはいえ、公園なことです。私たちはスウェーデン大使、インド大使、シンガポール大使、韓国大使等と同じテーブルで、国際色豊かでした。
三つ目はメインのイベントで、9月3日の早朝からの記念式典&パレード。朝6時に家を出て行ってきました。ホーチミン廟の前のバーディン広場が会場で、私たちは椅子ではなくて、階段のようになっているところに薄いゴザみたいなのを敷いたところに座るように指示されました。パレード自体は流石に力が入っていて、なんと3万人もの人がパレードしたというのですが、とにかく日が昇ると暑くて、お尻は痛くて、2時間半もその体勢でいるのは肉体的には拷問のようでした…。特にやっぱり軍隊の人たちの行進はすごかったです。アメリカに勝ったこの国の人たち、いつでも戦争に行けそう…。
最後は3日の夜、ハノイの郊外にある国際会議場であったミュージカルのようなショーを見に行きました。これも相当すごかったです。ものすごいプロパガンダだろうなあ、という期待を裏切らないものでした。題して「ホーチミンの時」。愛国心をそのままミュージカルにしたような演目でした。この日は夜、花火もあったのですが、ショーをやっている時だったので、私たちは見られませんでした。
プロパガンダ満載の2日間を過ごしてみて一つ思ったのは、ここまで「愛国心」を素直に表現できて、ベトナム人であることを誇りにできるのは、ある意味羨ましいなあということでした。私は日本を誇りに思う部分はもちろん沢山あるにしても、「愛国心」というと、すぐにちょっと右翼系というか、日の丸君が代を崇拝するのか、とか、そういう方向に行ってしまから、やだやだと思ってしまいます。第二次大戦でのひどい間違いがなかったら、もうちょっと素直に日本人であることを誇りにできるのになあ、と思ってしまいます。そして、ベトナム人、もちろんあなたたち、ベトナム人であることを誇りに思っていいよ!とも思いました。中国・フランス・日本・アメリカという侵略者に対し、まさに沢山の血を流して勝ち取った独立。すごいことです。すっかりプロパガンダに影響されました…!忙しかったけど、とても印象に残る独立記念日でした。
戦後70年。 ― 2015/08/28 14:17
今年はいろいろな意味で特別な年だと思うのですが、そのうちの1つが戦後70年です。あの戦争で何が起こったのか、戦争から何を学ぶべきか、改めて考える機会だと思います。
私は戦後50年の広島の記念式典の時、広島に行った覚えがあります。当時は大学生でした。日本がまた戦争を起こすなんてありえないと思いながらも、少しでもその当時のことを近くに感じたいと思う気持ちがあったように思います。あれから20年、今の日本が置かれている状況、そして安倍政権が向かおうとしている方向を思うと、どうしてこうなってしまったんだろう、と思わずにはいられません。そして戦中・戦後直後のことを知る人がどんどんいなくなっていく今、私たちを含めた若い世代がもっと日本の歴史から学び、教訓を今に生かしていく必要があると思います。
特に私が強烈な怒りを感じたのは、河内原発の再稼動を、広島・長崎の式典の直後に行ったことです。原爆と原発を一緒にするのはおかしい、という人もいるでしょうが、私にとっては核の力を使うという意味では、同じことです。原発の再稼動をあのタイミングで行ったのは、広島・長崎の被爆者と福島の事故のために未だに避難生活を続けている人々への侮蔑だと思いました。
この機会に私は「あの戦争と日本人」という半藤一利さん(「ノモンハンの夏」等で有名です)の書いた本を読んでみたのですが、改めてあの戦争に突き進んでいったのは狂っていたとしか思えませんでした。あの狂気を、私たちは毎年でも毎日でも、思い起こさなくてはいけないのではないかと思います。そして正直なところ、知らなかったことも結構あって、もっと勉強しなくてはとも思いました。歴史をしっかりと勉強すると、自然と今やらないといけないことがはっきりしてくるように思います。
戦後80年を迎える時、日本はどんな国になっているのでしょうか。その時まで平和憲法を守ることができるでしょうか。きちんと歴史を勉強し、2度と間違いを起こさない国でいられるでしょうか。日本がどんな政治的決断を取るにしろ、それは確固とした歴史を踏まえた反省の元になされるものでなければいけないと思います。
近況報告 ― 2015/08/10 18:36

また久々のブログ更新になってしまいました。というのも、大変なことが起こってしまい…。ピーターとジュリが7月末にドイツから戻ってきたのはよかったのですが、なんとピーターがハノイの飛行場でこけて左手首の骨にヒビを入れてしまったのです。その時はそんなに大事でもないだろうと、医者に行くべきかどうか迷ったぐらいだったのですが、家の近くのクリニックに行ってX線を撮ってもらったら、見事にひびが入っていると。1週間ぐらいこのまま安静にして、その時点でもう1度X線を撮って、手術が必要かどうかを診るべき、と言われました。
1週間後といえば私たちがタイへのバケーションに行っている時です。バンコクは世界的に医療費が安くて質がよいことで「メディカル・ツーリズム」で知られているぐらいですから、ちょうどいいと言えばちょうどいい…。という訳で、バンコクについて2日目、ピーターは私の友達に紹介してもらった有名な病院に行きました。そこで1週間前に撮ったX線写真を見せたら、それだけで速攻「手術が必要です」と言われてしまいました。しかも2晩の入院が必要だと…。ピーターはまさに打ちひしがれて帰って来ました。
元々はバンコクには2泊しかしない予定で、2週間のほとんどをコーチャンという島で過ごす予定だったのですが、これで急遽予定変更になってしまいました。ホテルはキャンセル不可だったので、私とジュリだけ先に行くということも考えたのですが、そうするとジュリの11歳の誕生日を家族で過ごせなくなってしまいます。全身麻酔の手術をするのに、バンコクにひとりぼっちというのもかわいそすぎるし、結局はバンコク滞在を1週間に延ばすことにしました。
ひびの入った骨にプレートを打ち付けるという手術は火曜日の夜8時半に始まり、なんの問題もなく終わりました。でもやっぱり全身麻酔というのは、本人も家族も、万が一目が覚めなかったらどうしよう、みたいな不安があり、ジュリも結構動揺していたようです。翌日、お見舞いに行った時は、ピーターはまだモルフィネでぼーっとしていた感じでしたが、幸い痛みは手術が終わってからほとんど感じなくなったようです。
そんなこんなでなんだか休暇じゃないような感じで1週間が経ち、やっと一昨日、コーチャンに着きました。とっても素敵なリゾートでのんびりしてます。とりあえずは、ほっとしました…。
日本の国際社会への貢献について。 ― 2015/02/02 21:57
日本人の人質事件は、湯川さんに続いて後藤さんの殺害という悲惨な結末を迎えてしまいました。こういう事件は、国連で働く者としては、他人事ではありません。もちろん、私たちは個人の立場で外国で働いている訳ではないので、状況は違いますが、私たちの同僚の多くは、アフガニスタン、パキスタン、シリア等、何が起こってもおかしくない所で働いています。だからこそ、意見したいことはあるのですが、うまく言葉にならない、と思っていたら、私のUNDPの先輩で、現在ジェンダーの専門家としてサンデーモーニング等にも出演されている大崎麻子さんのコメントを拝見し、強く共感しました。以下、引用させて頂きます。サンデーモーニングに出演前にニュースが入ってきた、というところから始まります。
「自分の中では大前提としてあるのでコメントはしなかったのですが、後から考えたらその前提が日本国内ではあまり共有されていないんだなと改めて思ったことがあります。湯川さん、後藤さんが受けた理不尽な残虐行為、そして家族・知人の深い悲しみ・怒り・絶望は、今この瞬間にも、シリア国内・周辺国、そして世界各地でそれはそれはたくさんの人たちが経験しているということです。
わたし自身、それを「知った」のは、大学院時代に国連人権センターでインターンをした際に世界各国から毎日送られてくる人権侵害の報告・陳情レターの分類(拉致、拷問、拘禁など)をさせられた時、そして、そのあとユニセフ本部の「武力紛争が子どもに与える影響報告書」の事務局でインターンをした際に、少年・少女兵、性暴力、地雷、家族などを目の前で殺害されたことによる精神的トラウマ、といった数々の事例を読み、分類・分析させられた時でした。これが、今、地球上で起こっていることかと愕然とし、2歳の息子を持つわたしとしては本当に居たたまれなくて、毎日事務所の片隅で泣きながら作業をしていました。その経験が「開発」の仕事に携わるようになったことにも繋がっています。その後、カンボジアやグアテマラなどでの復興支援に携わり、特に農村地帯の女性たちから国会議員の女性たちまで、ありとあらゆる人たちと話をしたり、仕事をする中で、それがとてもリアルな「実感」になっていきました。
世界中で過酷な状況にありながらも、日常生活を営もう、子どもたちをどうにか食べさせ教育が受けられるようにしよう、つらい体験を乗り越えようとしている人たちがいます。そしてそうした人たちに寄り添おうという人たちが、人道支援・開発支援・平和維持活動の現場にたくさんいます。その市井の人々の様子、支援の現場の様子を伝えてくださるのがジャーナリスト。残念ながら、日本では「国際ネタ」は敬遠されます。日本の人たちが関心を持ってないから、と言われます。が、私たちが日々享受している便利な生活は世界各国から輸入した資源(エネルギー、食糧、レアメタルetcetc)の上に成り立っています。それらの資源がもしかしたら、たとえばアフリカの紛争の要因になっているかもしれません。遠すぎてピンと来ないかもしれないけど。
日本人が巻き込まれる不幸な事件があるとものすごいメディア・アテンションがありますが、ほとぼりが冷めるとさーーーーーっと潮が引いていく。でも、ここまでグローバル化が進むと「日本だけは無関係」という発想を維持するのは難しい。また、紛争・平和の問題に関わっているのは、欧米諸国だけではなく、本当に多種多様なアクターです。国連、国際機関/地域機関、国際/ローカルNGO、政府の多国間協力の仕組みなど、ありとあらゆるアクターが関わっています。2000年代に入ってからマンデートが増え続け、今では「民間人の保護」も(ミッションによっては)ひとつの責務になっている国連PKOですが、現場で活動しているのは9割以上途上国出身者です。そういう国際情勢の中で、日本がどう関与・協力するのか。どう舵取りをしていくのか。もっと大局的な文脈、多様なアクターの関わりを踏まえた上での報道、議論が必要だと思います。
後藤さん、山本美香さん、橋田信介さん、長井健司さんをはじめとする日本人ジャーナリストの方々が文字通り命をかけて伝えようとしたことを一過性ではなく、継続的に、それなりの当事者意識を持って受け止めていきたいものです。そして、今の国際的な安全保障の環境を考えると、それはもうチョイスではなく、マストではないかとすら思えます。夜、何の心配も無しに床につけることのかけがえのなさ。この安心感を世界中の人々、子どもたちが享受できるようにするには?
湯川さん、後藤さん、Rest in Peace. 追伸:安全保障を考える=戦争への道ではありません。念のため」
彼女の言う「当事者意識」が日本人に欠けていることは、私も常々感じてきたことでした。国連で働いている、というと、多くの人が何か特別なことのように思うみたいですが、世界がこんなにも繋がっていることを考えると、そんな特別なことでもないと思うのです。日本のような島国だとわかりにくいのかもしれませんが、私たちの暮らしは、外国で起こっていることと直結しています。そんな中、今回の事件に関しては、あのタイミングで中東訪問をした安倍首相の責任を問う声もありますが、当然のことでしょう。政治的なアンテナがしっかり張れていたら、的確な危機管理能力があったら、たとえ中東訪問をしてもなるべく目立たないような発言にしただろうと思わずにはいられません。(それとも、今回の事件のようなことが起これば、自衛隊を法人救出のために派遣するという方向へ議論を進められる、というところまで計算していたのでしょうか?そうとは思えないし、思いたくないです。)
もう一つ、この点を指摘している人の文章を読んだことがないのですが(きっと私が見ていないだけで、誰かが言ってくれていると思いたいですが)後藤さんのことばかりヒーローのように書き立てるのはとても抵抗を感じました。湯川さんの殺害については、あれほどのアテンションがなかったと思います。彼の一生は、確かに辛いことばかりだったのかもしれませんし、後藤さんのような「大義名分」もなくシリアに渡ったという見方もあるようです。でも、人の命の価値は、誰でも同じです。同じでなければいけないし、同じだとして扱わないといけない、と思います。私の友人たちでも、後藤さんが亡くなった時だけ、Facebookに書き込みをしている人が沢山いました。私は、湯川さんの時には何も書かなかったのに、後藤さんの死だけについてコメントするのはおかしい気がして、何も書きませんでした(もちろん、後藤さんだけ個人的に知っていたとかいうのなら別ですが)。
そして何よりも、麻子さんの書いている通り、大事なのは、今回の事件を踏まえて、一時的な騒ぎで終える、又は、これを理由にして自衛隊の海外派遣への道を整えるのではなく、日本として世界で起こっていることに対して、どのように対応していくのか、しっかりとした議論を行っていくことだと思います。さらに誤解を恐れずに言えば、この議論に女性の声を反映させていくこと。日本で政策決定権を持っているのはほとんど男性であることは誰も否定できません。人口の半分が女性である以上、女性の声を無理してでもすくいあげていかないと、安全保障という日本にとってこんなにも大切な決定をしてはならないと思います。
2015年 ― 2015/01/26 21:59
あっという間に、新年があけて、1月も既に終わり近く。今更あけましておめでとうございます、というのも何ですが、年明けの雑感など書いておこうかと思います。
2015年というと、私にとっては特別な年なのです。というのも、国連で働き始めた頃、とりあえずMillennium Developent Goals (MDGs)という、国連総会で決議された開発ゴールの目標年である2015年までは、国連で働き続けてみよう、と思ったので。この間、世界では本当にいろんなことがあり、MDGsは達成には程遠いですが、それでもこのゴールがあったことで、沢山の発展途上国で社会開発が進んだことには貢献したと思います。私もこの間、国連でのキャリアを積み、現在はやりたいと思える仕事を好きな国でできるという恵まれた状況に到達することができました。またこれから15年、新しい開発目標であるSustainable Development Goals(今年の9月の国連総会で採択される予定)の達成へ向けて頑張ろう、と思いを新たにしつつ新年を迎えました。
しかし、そんな静かな決意とは裏腹に、新年早々すごいニュースが飛び込んできてしまいました。なんと私の上司(国連人口基金のベトナム事務所長)が、来月半ばから5ヶ月間、バンコクへ行くことになってしまったのです。ということは、私が5ヶ月間も所長代理として事務所を仕切っていかないといけないことになります。まだ来て1年でこんなことになるとは…。
最初は相当ショックだったのですが、周りの人からいろいろと励まされ、今はこれを与えられたチャンスだと思って、頑張ろうと思えるようになりました。幸い、うちの事務所はスタッフの能力は高いし、以前にも所長がいない期間が長かったことはあるので、まあ何とかなるでしょう。
そうかと思えば世界では、パリでのテロ事件があったり、今度は日本人の人質事件、と大変なことばかりです。なんだか、年初めってこういう風にひどい事件が多い気が。ハイチの地震も1月でしたよね。去年は飛行機事故が続いたり、悲惨な事件が多かった気がするので、今年はよい1年になって欲しいものです。
フクシマ ― 2014/01/03 10:55
私はお正月というとあの震災と原発事故を思い出します。というのも、2011年の紅白歌合戦を見て、すごい危機感を感じたので。その頃のブログにも書きましたが、日本人は私達の持つ困難を乗り越えている力を発揮して、あっという間に復興をなしとげ、震災という自然災害と原発事故という人災を一緒くたにして、すべて過去のこととして忘れ去ってしまうのではないか、という強い印象を持ったのです。
あれから2年、震災からはもうすぐ丸3年。まだ汚染水の流出のニュースがわりと頻繁にあるにも関わらず、なんだか原発のことはやっぱり忘れられているような気がします。少なくともマスメディアを見る限りでは…。そんな中、ハフポストでこんな記事を見つけました。フクシマの「観光地化」に尽力している思想家のインタビューです。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/02/fukushima_n_4528221.html?utm_hp_ref=japan
私はこれはとっても重要な活動なのではないかと思います。「汚いものにはふたを」というのが日本の文化ですが、それを逆手にとって、開かれたフクシマを目指す。そして、原発の恐ろしさを皆に知ってもらう。勇気ある、そして意味のある行いではないでしょうか。
ちなみに、私は最近ハフポストをよく読んでいます。昔は朝日新聞のウェッブ版を読んでいましたが、今はほとんどの記事は購読契約をしないと途中までしか読めないのですが、ハフポストだったらそんなこともありません。しかも結構いいとこをついた読み応えのある記事があるように思います。(とはいえ、朝日新聞とは協力関係にあるみたいですけど。)
あけましておめでとうございます。 ― 2014/01/01 15:29
こちらドイツでも年が明けました。ここでは新年になった時に花火を打ち上げるのが習慣で、数日前からスーパーでは沢山花火を売っていました。だいぶ前にここで新年を迎えた時には、外に出て花火を見たものの、雪の中寒くて、大したことないなあ、という感想しかなかったのですが、今回も12時前から打ち上げの音が聞こえてきたので、近所を歩いてみることにしました。
外に出てみると、思ったよりもかなりの人が花火の準備をしていました。私達は自分たちでは買っていなかったのですが、30分ぐらい近所を歩きながら、かなりの迫力の花火を見ることができました。もちろん、日本の花火大会とかとは比べものになりませんが…。私は花火は日本が一番!と思っていますので…。
さて、2014年はどんな年になるでしょうか。私達にとってはハノイへの引っ越しを前にして、変化の年になります。2013年は公私ともに本当に試練の年だったので、2014年は新しい土地で新しい暮らしを始めることにはなりますが、もう少し楽に過ごせる年になるといいなあ、と思います…。今年もどうぞ宜しくお願いします。
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