コン・トゥムへの出張。2014/06/22 15:43

まだだいぶ長いこと空いてしまいましたが、5月末からずーっと出張続きで忙しくしていました。まだ今週も出張があるのですが…。5月末にはカンボジアへ行きましたが、これは本当に仕事だけの旅で、プノンペンもほとんど見られなかったので割愛。その翌週、初めてベトナム国内で出張らしい出張に行きました。(以前にハイ・ズオンへハノイから日帰りで行きましたが、ここはハノイとあまり変わらないような街だったので…。)行く先はコン・トゥムという中部山岳地帯にある州。ベトナムの中では一番貧しい州の一つだそうです。私の上司が今年3月に行った時は、本当に何にもない家に子供だけ10人いる家族を訪ねてショックだったと聞いていたので、それなりに心の準備をして行きましたが…。

コン・トゥムに着いてみて、まず驚いたのは涼しさと緑の美しさです。ハノイと比べたら気温はだいぶ低く、そしてとにかく緑が多い。ハノイも緑は多いと思うのですが、ここの緑はなんだか青っぽい緑というか、まさに生命力にあふれている感じ。一緒に行った同僚によれば、コン・トゥムはコーヒー豆とゴムの生産で知られているそうです。貧しいと言っても、ちゃんと産業があるのは、エチオピアの本当に貧しい地域とは違います。

着いた翌日は、州都から離れた少数民族の住む村へ行きましたが、私の印象としては「そんなに貧しくはない」でした。第一、かなり田舎に行くのにも、きちんと舗装道路がある。もちろん、部分的にアスファルトが壊れているところとかありますが、こんなの私が知っている本当に貧しい国の道路とは全然違います。子供の数も(国連人口基金の大きな仕事の一つは家族計画なので、どこにいっても出産率や避妊のことをチェックします)私が訪ねた2つの村に限って言えば、2・3人が普通みたいでした。アフリカでは大きな問題である妊婦の死亡率もほぼゼロ。唯一、州立病院に行った時は、設備の古さにびっくりしましたが、それ以外は「これはひどい」というような状況は目にしませんでした。これが「一番貧しい州の一つ」であるとしたら、ベトナムって本当に開発が進んだ国なんだと思わざるをえません。

もちろん、私の上司が見たような、ものすごい貧しい世帯もあるのは事実だと思います。でも、コン・トゥムを訪ねて、一番強く思ったのは、多くの開発途上国が中産国になった現在、ものすごく貧しい人々の状況を見て、何かしなくては!と思うというような「典型的な」開発援助の姿はこれからはなくなっていくのかもしれない、ということでした。それよりも、もっと国の政策レベルで何ができるのか、政府と一緒に試行錯誤を重ねていくような、パートナーシップに基づいた援助がどんどん一般化していくのかもしれません。写真は私達が訪ねた村のコミュニティーセンターで、家族計画等についての会議に参加しているところですが、こういうことも、これからは彼らが私達の支援なしでも自分たちでやっていくことになるんだろうと思います。

さて、今回の出張のハイライトは、実は帰路に着いてから起こりました…。ハノイ上空まで来た時に、ハノイはものすごい嵐にみまわれていて、私達の飛行機は着陸できず、約1時間、旋回し続けました。小さいプロペラ機だったので、これがまた尋常じゃない揺れ方で、本当に落ちるかと思いました。お尻が椅子に着かない状況もあり…。もうあんな思いは二度としたくない!という訳で、嵐は大体夕方から夜にかけてなので、今後は一切夕方と夜の便を避けることにしました。この嵐、本当にすごい規模だったので、ハノイではカヤックに乗って湖の上にいた2人と、タクシーの運転手1人が亡くなりました(タクシーには巨木が落っこちてきたそうです)。いやはや、寿命が縮みました!

コントゥムの後は、ビン・ズオンの工業団地で働く若者達のための会議、ニン・トゥアンへのモニタリング、と続きましたが、この話はまた今度。

最近のお気に入り:ライチ2014/06/22 16:13

ハノイで最近どこに行っても見かけるのが、ライチ。今がシーズンで、しかも私が前に日帰り出張で行ったハノイの近くのハイ・ズオン州がライチの生産で有名ということで、いたるところで売られています。昔、生のライチって食べたことあると思うのですが、この前食べてみた時、ものすごいジューシーで香り高いのにびっくり。こんなに美味しいライチは食べたことない!と思い、翌日3キロぐらい道ばたのフルーツ売りのおばさんから買いました。そしたらその2日後、オフィスに大量のライチが届けられ(写真)、私もまた3キロぐらい家に持ち帰れと言われ…。半分、隣に住んでいる大屋さんにあげましたが、家でもオフィスでもライチを食べまくる日々です。ビタミンCが沢山で、体にはよさそうですが、相当甘いですからね…。食べ過ぎてると更に太りそうです。

ジュリはライチの味は好きじゃないと言って食べないのですが(彼は果物はイチゴとバナナとリンゴぐらいしか食べません。マンゴーも嫌いだって。あんなにおいしいのに!)ライチの皮の色は奇麗だよねえ、と言います。確かに、赤とオレンジと黄色が絶妙に混じった夕焼けみたいな色。見るだけでも美味しい果物かも。

次はどんな果物の季節が来るのか、楽しみです!

ビン・ズオンへの出張2014/06/28 23:16

前述のように、今月初めにはビン・ズオンという南部ホーチミン市の近くで、工業団地が沢山ある所へ出張に行っていました。この時は、ユース・フォーラムという工業団地の工場で働く若者達のための会議に出るためで、100人近くの若者が集まってくれました。

トピックは国連人口基金の仕事に関わる「性と生殖に関わる健康と権利」という訳で、この点で若者達に日頃どういう困難があるのか、どういうサービスがあればいいか、というのを議論してもらいました。いろいろと話を聞いて、一番びっくりしたのが、彼らは学校で性教育を全くと言っていいほど受けていないということでした。私達の事務所では、昔ずいぶんと性教育の推進をやっていたと聞いたので…。(今はもうやっていなくて、日本で言う文科省との仕事は現在ほとんどありません。)でも、ベトナムの学校のカリキュラムはあまりに沢山の学科がありすぎる、というのが一般の認識らしく、新しいトピックを入れるのは難しいだろう(だから現在ある科目に入れる形しかない)という話も聞きました。

この会議の最後で、スピーチをするように言われて、私は性教育の大切さを訴えました。(ちなみに、一説によるとベトナムは妊娠中絶の数で世界5位とも言われていて、これも性教育をきちんと受けていない若者の望まない妊娠が多くあるからと言われます。)これを受けて、主催者だったユース・ユニオンの方が私の意見に強く賛成してくれて、「リツは日本というとても発展した国から来ている。日本からの意見、ぜひ聞き入れて、実行にうつそう」と言ってくれたのですが、正直複雑な気持ちでした。だって、私の経験では、日本の学校教育で性教育なんてほとんど皆無だったし、今でもちゃんと性教育が日本で行われているのか、疑わしい…。でも、どこに行っても、ベトナム人は日本人のことをものすごく高く評価している人が多く、この「日本効果」を上手に使わない手はない!と改めて思いました。他の国だったら「日本から来て、うちの国のことも知らないくせに」となるんだろうと思うのですが(フィジーで働いていた時はそういうことも言われました)、さすが開発援助でも直接投資でも、日本がベトナムに相当力を入れているからでしょうか…。性と生殖に関わる健康以外の分野でも、日本から学びたい、とよく言われます。例えば、少子化対策とか、高齢化対策とか…。「いやいや、日本も大変苦労しているところなんですよ、まだ教えられる状況じゃありません」と言いたくなってしまうところですが。

写真は、グループ・ディスカッションをもとに、参加者が自分たちの性と生殖に関わる健康に関する疑問や問題点を表現したものです。

ニン・トゥアンへの出張2014/06/30 09:21

今月3つ目の出張では、ニン・トゥアンという南東部にある省に行ってきました。ビーチで有名なリゾート地のニャチャンから車で1時間ぐらい着きます。ここは海岸沿いの省なのですが、山も多く、チャンパの遺跡で有名な少数民族のチャム人が沢山住んでいることでも知られます。

この出張でも、状況はコン・トゥムと似たような感じで、車で2時間ぐらいかけて遠隔地の村へ行っても、そんなにひどい貧困というのは目にしませんでした。でも、ここではまさに「変わりゆくベトナム」という感じの状況を感じたことが2つありました。

一つ目に「変わりゆくベトナム」を感じたのは、メディカル・スクールを見に行った時のことです。ここでは国連人口基金の支援を受けた12人の少数民族の若い女性が、助産婦となるべく勉強しているので、彼女たちを訪ねに行ったのですが、この学校の経営者達が頭を悩まされていることがありました。なんと、ハノイの近く、北部にある別のメディカル・スクールが、このニン・トゥアンの学校をほとんど乗っ取ったような形で、設備や先生まで借り受けて、大量に助産婦や看護師を養成しているというのです。なんでもこれは日本や台湾へ助産婦や看護師を「輸出」するためのトレーニングだというのですが、このカリキュラムが国際基準に沿ったものでないために、結局トレーニングを終えた人々も、助産婦や看護師として海外へ出ることはできず、職もないままにニン・トゥアンへ居残るかたちになり、助産婦や看護師の過剰供給状態ができているとのことでした。なんでこんな状況になってしまったのか、いろいろな理由はあるのでしょうが、簡単に言ってしまえば、北部のメディカル・スクールと、お金目当てに、あまり考えないままに契約を結んでしまった地方政府の行動が問題の1つであることは間違いなさそうでした。いづれにせよ、ベトナムでは、もう自国のための医療関係者養成だけでなく、海外へ出す労働者養成も視野に入れた動きがあることをはっきりと知らされた思いでした。

二つ目の「変わりゆくベトナム」を感じた事件は、私が常々からとても関心を持っている原子力発電所に関することでした。この省にはこれから2つ原発を建設する計画があり、その1つは日本が受注したということでした(もう1つはロシア)。日本がベトナムに原発を「輸出」しているとは知っていましたが、この省だというのは恥ずかしながら行くまで知りませんでした。省政府の高官と夕食をした時に、最初彼は「原発なんて怖くない!福島みたいなことは起こりませんよ!」と息巻いていました。私は、これは個人としてどうしても意見しないと、と思わずにいられず(国連人口基金の仕事とは直接関係ないのですが)一生懸命、原発建設というのがどういう意味があるのか、もし何か起こった時は、ニン・トゥアンだけでなく、ベトナム全土が汚染されるのだというのを粘り強く説明しました。彼らは、原発は観光資源になると思っていたらしく、私が日本では原発を見に行くツアーなんて福島が起こるまでなかったし、第一日本に50基以上の原発があるなんて、メディアでは全く報道されず、知りもしなかった、と言ったらびっくりしていました。その他、風評被害に苦しむ農家の話や、日本では産業のない比較的貧しい県が原発を担ってきたこと等、説明するに従い、彼らの顔色は変わっていきました。夕食が終わる頃には「ベトナム政府は、2020年までは、原発建設を延期して、もっと情報収集をしてから決定するということにしたから、よかった。でも、国会で決められたら、うちの省は従うしかない」というような弱気な立場に変わっていました。私としては、少しでも彼らの考えを変えられたかな、と思い、嬉しく思いました。もちろん、国連人口基金の仕事に関する話もしましたけど、原発事故が起こったりしたら、妊産婦の健康どころじゃないですからね。次世代の健康という意味では、考えてみたらしっかりうちの仕事と関係する問題だという気がします。

ニン・トゥアンはコン・トゥムと同じぐらい景色の奇麗な場所で、果物の生産でも知られています。お土産に、特産のマスカットみたいな緑のぶどうを沢山買いました。(同僚は魚も買っていました。ハノイで買うより安いし新鮮だそうです。)こんなに美しい国土を、原発なんかで壊して欲しくありません。「ベトナムを愛するからこそ、言っているんですよ」という私の懇願を、政府の人がなんとか真剣に受け止めてくれましたように…。

写真は、ニン・トゥアンの病院で産まれて数日の少数民族の赤ちゃんとお母さんと一緒に撮ってもらいました。